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「人新世の『資本論』」斎藤幸平

話題の書である。かなり踏み込んだ過激な提言だ。気候変動問題に危機意識をもって対峙し、マルクスの「資本論」を読み直しつつ、「脱成長のコミュニズム」社会の到来を提言した本である。

国連のSDGsの取り組みや「緑の経済成長」と言われるグリーンニューディール政策や従来の左派的な主張や反緊縮政策や公共投資や富の再分配だけでは、環境破壊は止まらないと指摘する。格差を拡大した新自由主義だけが問題なのではなく、経済成長そのものを見直し、資本主義システムを見直さないとダメだという主張だ。

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい)Anthropocene」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

先進国は、グローバル・サウスを犠牲にして「豊かな」生活を享受している。資本主義とは、「外部化社会」を作り出し、そこに様々な負担を転嫁してきた。そのグローバル化が地球の隅々まで及んだために、収奪の対象となる「フロンティア」は消滅した。それは労働力だけではなく、地球環境の収奪に及んでいる。資源、エネルギー、食料もグローバル・サウスから奪われており、その無限の経済成長をやめない限り、地球環境の破壊は止まらない。

ガソリン自動車から電気自動車に転換すると言っても、カギとなるのはリチウム電池だ。スマホやパソコンだけでなく、電気自動車にもリチウムイオン電池が不可欠であり、そのためにはレアメタルが大量に必要となる。リチウムはアンデス山脈沿いの地域に埋まっている。そして、アタカマ塩原のあるチリが最大の産出国だそうだ。また、コバルトもリチウムイオン電池には必要で、コバルトの約6割がアフリカの最貧国、コンゴ共和国で採掘されている。いずれにせよ、電気自動車になってCO2排出が削減されても、経済成長をし続ける限り、労働力の搾取と地球的な環境破壊は形を変えて進行する。

広井良典の「定常型社会」や佐伯啓思も、資本主義社会を維持したまま、社会民主主義的な福祉国家政策によって、新自由主義の市場原理主義を飼い馴らそう、そこに持続可能な理念を加え、脱成長・定常型社会への移行が可能になるという考えだ。しかし、斎藤幸平はそのような楽観的予測を否定する。資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である。繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していく。目標実現のためには、世界中の労働力や資源を利用して、新しい市場を開拓し、わずかなビジネスチャンスも見逃さない。

近年進むマルクス主義の再解釈の鍵は<コモン>の共有にある。社会的に管理されるべき富、それは水や電力、住居、医療、教育といった公共財を自分たちで民主主義的に管理することを目指すものだ。マルクスにとってコミュニズムとは、ソ連のような一党独裁国営化体制を意味するものではなかった。地球を<コモン>として管理する考え方。「資本主義による近代化が、人類の解放をもたらす」という「生産力至上主義」の楽観的な「進歩史観」から、後期マルクスにおいてはエコロジカルな理論的転換があるのだという。人間は「労働」によって、「人間と自然」との関係を取り結ぶ。マルクスは「資本論」刊行以降、熱心に自然科学の研究を続け、ヨーロッパ中心主義から決別し、晩年は共同体研究に熱中していたという。そして「持続可能性」と「平等」についての考察を深めたというのだ。

さて、「脱成長コミュニズム」とは、どのように成し遂げられるのか。<コモン>の市民営化の事例として、「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」の存在を挙げる。「自由の国」を拡張するためには、無限の成長だけを追い求め、人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、総量としては、これまでより少なくしか生産されなくても、全体としては幸福で、公正で、持続可能な社会に向けての「自己抑制」を、自発的に行なうべきだ、とする。闇雲の生産力を上げるのではなく、自制によって「必然の国」を縮小していくことが、「自由の国」の拡張につながる、と本書は説く。

トマス・ピケティは、「21世紀の資本」の考えから転換し、「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型の社会主義」を主張している。単なる再分配にとどまらない社会主義、生産の場における労働者の自由が不可欠だという主張は、本書の主張とも重なるという。労働のあり方を変えることが、自然環境を救うために決定的に重要なのだ。

誰でも無料に食べてよい「公共の果樹」を植えているデンマークのコペンハーゲンの事例、デトロイトで始まった荒れ地を復活させる都市農業、エッセンシャル・ワーク重視の流れ、バルセロナで進められている「フィアレス・シティ」、自治体の気候非常事態宣言。協同組合による参加型社会が生まれつつある。国境を超える自治体主義は「ミュニシパリズム」と呼ばれ、グローバルに展開しだしている。「食料主権」を「資本」から取り戻し、グローバル・サウスから学び、顔の見える関係であるコミュニティや地方自治体をベースにして信頼関係を回復していくしか道はない。はてさて、この夢のような<コモン>」の市民営化は、本当に成し遂げられるのだろうか。今後の議論が深められていくことを期待したい。
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テーマ : ブックレビュー
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「ペルソナ 脳に潜む闇」中野信子

中野信子はテレビでも人気の脳科学者で、本も売れているようなので、なんとなく読んでみた。「ペルソナ」にまつわる脳科学的な専門的な話がもっと出てくるのかと思っていたら、わりと自分史に関する軽いエッセイだった。

私自身は「無駄を肯定したい」と公言していることをしっかりと明記しておきたい。(略)
何がしたいのか、わかる方がつまらない。何十年も先が見えてしまう方が生き方は退屈ではないのか。見えてしまう方が気持ち悪くないのだろうか。

脳は一貫していることの方がおかしいのだ。自然ではないから、わざわざ一貫させようとして、外野が口を出したり、内省的に自分を批判したりするのである。一貫させるのは、端的に言えば、コミュニティから受けとることのできる恩恵を最大化するためという目的からにすぎない。私たちは、複数の側面を内包しながら、これらを使い分けて生きている。(中略)

私のペルソナ(他者に対峙する時に現れる自己の外的側面)は、私がそう演じている役である、と言ったら言い過ぎだと感じられるだろうか?あなたが、わたしだと思っているものは、わたしではない。一時的に、そういう側面を見て取ってもらっているだけのことである。

過去に存在した事実の集積で、人間はできている。過去の私を語ることが、現在の私を語ることになるのだが、考えてみると、今の私があるのは少し前の私がいたから、そしてその少し前の私がいたのは数年前の私がいたからだ。

と書いているように、人間とは日々変わり続けるものであり、一貫などしていないし、様々なペルソナを使い分けて生きているということだ。すべて納得のこの<まえがき>を読むだけで、この本の内容は尽きている。

「過去の私を語ることが、現在の私を語ることになる」ということで、現在から時代をさかのぼる形の自分史がこの本には書かれている。アレハンドル・ボドロフスキーは「コロナはサイコマジックだ。人の行動を変えていく、自然のサイコマジックなのだ」と語ったそうだが、「脳は毎夜、夢を見ながら、毎朝生まれ変わっている」ことから、変わり続け再構成されていく自分のことを書いている。一貫などしていない何事にも縛られたくないという自分のことを。

人間の闇ばかりに着目してきた彼女は、脳の快楽中枢が人に嘘をつかせたり、不倫をさせたり、毒親になったり、正義中毒になったり、さまざまな愚かなことを行うことを理解している。一貫性もなければ、ブレブレになる事も、それも脳の調整機能だったりする。だから「ポジティブ心理学」が嫌いだという。ポジティブであることを必要以上に強要され、人間の自然なネガティブさを許さない考えが好きではない、と。ポジティブであることの「禍々しい明るさ」や「胡散臭さ」にうんざりするという。特に日本人は「環境圧力」に敏感で「きちんとしていなければならない」と考える傾向は、呪いをかけられているのだと指摘する。

中野信子自身が幼少期の頃から、人と合わすことができず極端にコミュニケーション能力がなかったようだ。そしていつも頭痛もちでイライラするし、ネガティブな性格。子供の時に母親からも認めてもらえず、人と一緒にいるより孤独が好きだったという。一方で頭が良かったことが、まわりからも距離を持たれ、勉強することしかなかった。しかし、アカデミズムの世界では女性差別やセクハラばかりで、その理不尽さに戸惑い、怒り、生きづらさをずっと抱えていたようだ。テレビに出るようになって、タレントたちのコミュニケーション能力を必死に学んだという。「わたしはモザイク状の多面体である」という言葉を本のおわりに書いているが、「らしく」の呪縛から逃れ、中野信子という人間が何者なのかは、読者自身が作り上げるものであると語る。

「これは私の物語のようであって、そうではない。本来存在しないわたしが反射する読み手の皆さんの物語でもある。」

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「ガラスの街」ポール・オースター 柴田元幸訳

ポール・オースターは好きで結構読んでいる。このブログには、「幻影の書」と「ブルックリン・フォーリーズ」のレビューしか挙がっていないが、「シティ・オブ・グラス」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」のニューヨーク三部作、「ムーン・パレス」「偶然の音楽」などの本が手元にある。そしてこの本は、「シティ・オブ・グラス」(山本楡美子・郷原宏訳)として初訳が出ていたものを、柴田元幸氏が再び訳し直したものである。だからずいぶん前に読んでいたのだが、すっかり忘れていたという始末。

「孤独の発明」に続いてポール・オースターの2作目という初期のものである。訳者のあとがきによると、この小説はあちこちの出版社に持ち込んでも出版を断られ続けたそうだ。探偵小説の体裁をとっていながら、事実はいっこうに明らかにならないし、事件の解決もされないことから断られたのではないかと、柴田元幸氏は解説している。そうなのだ。事件はちっとも解決しないし、探偵を演じたクイン氏そのものが赤いノートを残して行方不明になって終わるのだ。

そもそもクイン氏というものが何者なのかよくわからない。35歳だったらしいこと、かつて妻がいて息子もいたらしいのだが、二人とも死んでしまったようだ。なぜ死んだのかも不明。クイン氏はその不在の哀しみを抱えて、探偵小説を書いてひっそり暮らしている。ウィリアム・ウィルソンという名前を使って、著者の写真も経歴も伏せたまま、エージェントと接触もせず、原稿を送り、お金を得ていただけだ。まさに抽象的な人物。誰一人友人もいないし、接触する人間はいない。クインはニューヨークの街をひたすら散歩することが好きだった。

散歩に行くたび、あたかも自分自身を置いていくような気分になった。街路の動きに身を委ね、自分を一個の眼に還元することで、考えることの義務から解放された。それがある種の平安をもたらし、好ましい空虚を内面に作り上げた。(中略)あてもなくさまようことによって、すべての場所は等価になり自分が、どこにいるかはもはや問題ではなかった。散歩がうまくいったときは、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった―‐どこにもいないこと。ニューヨークは、彼が自分の周りに築き上げたどこでもない場所であり、自分がもう二度とそこを去る気がないことを彼は実感した。


クイン氏のところに夜に間違い電話がかかってくる。「ポール・オースターさんですか?」と。クインはポール・オースターという男を名乗り、その間違い電話の依頼である事件の探偵として関わることになるのだ。依頼者はピーター・スティルマン。彼の本名は、「ピーター・ラビット。冬はミスター・ホワイト、夏はミスター・グリーン」などと言う。名前など意味がなく、翻訳不可能な言葉を語る。父親のピーター・ステイルマンに小さい頃からずっと監禁され、自由と言葉を奪われたのだ。その回復過程にある現在において、刑務所から出てきた父、ピーター・スティルマンが彼を殺しにやってくるから守ってくれという依頼だった。

クインはポール・オースターになって、自分の分身のウィリアム・ウィルソンが書いた探偵小説の探偵のように、ピーター・ステイルマンを尾行する。街をブラブラして、落ちている無用なモノたちを回収するスティルマン。ピーター・ステイルマンは新たな言葉を作り出そうとしていた。バベルの塔の建設で人間が犯した言葉の過ちを正そうと、新バベルの建設を考えていたようだ。息子の監禁も言葉を奪うことで何かを実験していたかのようである。クイン氏は、何日もピーター・スティルマンの不可解な散歩を尾行し続けるのだが、ある時、彼を見失ってしまう。そして、自分がなぜポール・オースターと間違えられたのかを知るために、作家のポール・オースター氏に会いに行く。ポール・オースター氏から語られる「ドン・キホーテ」とセルバンデスの関係について論じた話も興味深い。「ドン・キホーテ」の物語のすべては、ドン・キホーテの仕掛けた罠であり、嘘やナンセンスをどこまで信じるかの実験だったのだという「ドン・キホーテ」論を書いていた。実験?仕掛けた罠?とすると、この奇妙な依頼もまた誰かが仕掛けた罠なのか?

ピーター・スティルマン氏の息子の言葉を奪う実験。そして言葉を作り出そうとする新バベルの塔の建設とは、作家そのもののようでもある。街をさまよい、見続ける。そして言葉にすること。クイン氏は、ウィリアム・ウィルソンという名の作家であり、作家ポール・オースターという名の探偵となり、尾行をする。名前は次々と変わり、自分とは何者でもなく、何者にもなれる。

ピーター・スティルマンを見失ったクインは、浮浪者のようになりながら何日も息子のピーター・スティルマンの建物を見張り続けるのだが、そのピーター・スティルマンもいなくなってしまう。父親のピーター・スティルマンは自殺したという知らせをポール・オースターから聞き、すべて謎のまま投げ出され、クインもまた赤いノートにこれまでのことを書き続けて、いなくなってしまうのだ。こうやって物語を書いていても、何が何だか分からない。

街を歩き、さまようことで、自分が一個の眼となり、空虚なものとなる。それは街そのものであり、どこにもいないことである。あるのは言葉だけ。赤いノートに記され言葉だけがあり、小説がある。最後にアフリカから帰ってくるというポール・オースターの友人である「私」がクインの赤いノートから、この小説「ガラスの街」を書いたとされるのだが、そもそもその「私」とは誰なのか。ポール・オースターなのか、クインなのか、ウィリアム・ウィルソンなのか、それとも別の誰かなのか、よくわからない。作家とは誰でもない誰かであり、虚ろな存在でしかない。そしてそれは、私たちもまた、誰でもない誰かになりうるし、虚ろな存在であるということでもあるのだ。

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「巨大なラジオ/泳ぐ人」ジョン・チーヴァ―/村上春樹訳(新潮社)

村上春樹訳ということで読みだしたアメリカの短編作家ジョン・チーヴァ―は、1912年生まれ。1982年に亡くなるまで、数多くの短編を発表している。主に「ニューヨーカー」に頻繁に掲載されたのが、1940年代後半~60年代半ば。サリンジャーとほぼ同世代、レイモンド・カーヴァーはひと世代下になる。

ジョン・チーヴァーの多くの短編は、1950年代のアメリカの「中の上」クラス、あるいは富裕層の高級住宅街を舞台(架空の住宅街シェイディー・ヒルが度々登場)にしている。豊かな恵まれた暮らしをしている人々が、あるキッカケで、落とし穴に入り込み、心の空洞、心の隙間に入り込んでくる闇のようなものを描いている。人生の皮肉、ちょっと滑稽で、時にシュールで、ブラックな味わいが魅力だ。

『深紅の引越しトラック』に登場する高級住宅街のパーティーで、いつもアル中になって騒ぎ出して引っ越しを余儀なくされる男ジージーのことをこう描写する。

ジージーは不具なるもの、病んだもの、貧しいものたちの――彼ら自身に落ち度はないのに苦悩に満ちた悲痛な人生を送らなければならないものたちの―‐代弁者なのだ。幸福で、育ちが良くて裕福な人々に対して、彼はこう言いたかったのだ。いくら慈愛の心を持ち、特権を用いて、何不自由なく暮らしていようと、おまえたちだって怒りの苦悶や、情欲や、死の苦しみから無縁でいることはできないのだ。彼が言いたかったのはただ、その一撃がやってくるときのために、衝撃にしっかり備えていろよ、ということなのだ。(P231)


幸福な暮らしをしていても突然やってくるその一撃とは、妻子が出て行った孤独な夜に、家の中をこっそりのぞく覗き屋の存在だったり(『治癒』)、金に困り妻にも言えず、こっそり近所の金持ちの友人の家に忍び込み、お金を盗んでしまうことだったり(『ジェイディー・ヒルの泥棒』)、乳母に預けて遊びまくっていた女の子供が突然失踪してしまったり(『「サットン・プレイス物語』)、子供たちのベビーシッターに恋をしてしまい、精神的に混乱してしまう男だったり(『カントリー・ハズバンド』)、森の中で愛を交わしていた男の尻を見てから、性的妄想に憑りつかれてしまう人気作家の話だったり(『林檎の世界』)、妻が突然裸で演劇に出ると言い出したり(『四番目の警報』)、落とし穴はいろいろなパターンがある。誰もが羨む豊かな暮らし、高級住宅街での優雅なパーティー、そんな恵まれた暮らしをしている人々の取り繕った顔の裏側、孤独や欲望や闇が突然露わになり、人生の混乱を引き起こす。誰にでも落とし穴があるのだ、とチーヴァ―は皮肉を込めて描く。

『ぼくの弟』という初期の頃(1951年)に書いた作品がある。マサチューセッツの島で、年老いた母を囲んで家族全員が集まってひと夏を過ごす話だが、理屈っぽくて暗くて、いつも人を不快にさせることしか言わないひねくれものの弟が久しぶりにやってくる。チーヴァ―はこの作品に関するエッセイでこう書いている。

私は親戚たちの中に、人生の核心には耐えがたく忌まわしいものがあり、愛や友情やバーボン・ウイスキーや、なんらかの明るさを持つようなものはすべて、無意味で馬鹿げた欺瞞だと考えている人たちがいることを知っている。私の作家としての目的は、そのような姿勢の緩和を―‐もし必要だと思えばそこからの逃亡を―‐記録することだった。(P353)

このひねくれた弟のように、人生の楽しさ、明るさの裏側に、無意味で馬鹿げた欺瞞を感じるのは、もしかしたらもう一人のジョン・チーヴァ―なのかもしれない。村上春樹が言うところのアルターエゴ。誰もが持っている別の側面。そんな二重性を、チーヴァ―の短編から感じる。

有名な作品に映画化もされた『泳ぐひと』がある。高級住宅街でそれぞれの家のプールを泳いで家まで帰る男の奇妙な話だが、優雅な暮らしから転落した男の心の空洞が描かれる。最初は、久しぶりの男の訪問に歓迎されていたのだが、次第に訪問に迷惑そうな対応をされ、男の存在自体が不確かなものになっていく。人に金を借り、妻子もいなくなり、転落していった男の人生が浮き彫りになる。その描写の変化が見事であり、一日の限られた時間の話だったはずなのに、時間が引き延ばされ、辿り着いた男の家は、売りに出され、空っぽだったというシュールな結末が見事だ。

表題作の『巨大なラジオ』もちょっと非現実的な話だ。高級アパートメントで夫からプレゼントされた高級ラジオが、なぜだか近所の家の会話の音を拾って盗聴できてしまうのだ。近所の人々の取り繕った顔の裏側にある闇や欲望を覗き見する感覚に、主人公である奥さん自身が夢中になって病んでいくのだ。

『ああ、夢破れし街よ』は田舎からニューヨークに出てきた劇作家の夢と現実。田舎者が騙されていく悲哀がせつない。
『トーチソング』もなかなかいい。感傷的なラブソングという意味だそうだが、いつも変なダメ男を彼氏にしつつ、その男の世話をすることに夢中になる女性との腐れ縁的な関係にある男。彼女に紹介される彼氏は、暴力的だったり、アル中だったり、アメリカを見下すドイツ人だったり、金にだらしのない男だったりと、ろくでもない男ばかり。微妙な距離を持ちながら続いた関係だったが、彼自身がお金が無くなり、病気になると、男を作りまくっていた彼女がそばにやってくる。疫病神のように。献身的に世話を焼くことで生き甲斐を見つける女と、その女に最後に悪態をつく男の本音。人間の二重性、複雑さが描かれていて面白い。

『バベルの塔のクランシー』は、高級アパートメントのエレベーター係の男の話。身なりもよく好感の持てる紳士が、同性愛的嗜好で男友達と暮らそうとすることをどうしても許せないのだ。『引っ越しの日』も、同じような高級アパートメントの管理人の話。引っ越しで出ていく人とその部屋の移る人。引っ越し業者のトラックがなかなかやってこないことでヤキモキする管理人とアパートメントの人々の人物描写が楽しい。いずれも富裕層を下層労働者の側から描いた短編だ。

どの短編も皮肉が利いていて、人物描写に深みがあり、転落や闇や落とし穴に混乱する人間模様が面白い。

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「i アイ」西加奈子 (ポプラ文庫)

西加奈子は「さくら」「サラバ!」に続いて3冊目かな。家族、孤独、友情などをテーマに描くことが多い。人は誰かに抱きしめてもらいたいし、誰かを抱きしめたい。誰かがじっと自分のことを認めて、待ち続けてくれる人がいれば、もうそれだけで十分だ。生きていていいんだと思える。誰もが誰かに認めてもらいたい。生きていていいんだよと。そんな人が身近にいないと、人は生きていることが不安になる。

シリア生まれの女の子が養子として、日本人の母とアメリカ人の父との裕福な家庭にもらわれてくる。自分が選ばれたことで、シリアで選ばれなかった子供たち、あるいは世界中で不幸に見舞われている人々と自分の何が違うのか、そんな世界の不幸と自分の恵まれた環境を比較して、罪悪感を抱き続ける少女の物語だ。優しく幸せで裕福な家庭で過ごすことに、負い目を感じ続ける少女。「世界の不均衡」「不当な幸せ」「自分だけ不幸から免れた思い」・・・。シリアの戦乱から、アフガニスタンの空爆から、ハイチの貧困から、様々な世界の夥しい死から、なぜ自分だけが免れ、ぬくぬくと裕福な家庭で過ごせているのかと。自分の存在を自分で認められなかった。親から虐待を受けたわけでも、暴力を振るわれたわけでも、喧嘩が絶えない両親だったわけでもないのに、養子として選ばれた出自に不安を感じ、主人公のアイは苦しむ。そして「この世界にアイは存在しません」という虚数としての<i>を表現する数学教師の言葉が呪文のように彼女の存在を否定する。

自分の考えをはっきりと主張できなかった少女は、目立たぬようにまわりに合わせて生きてきた。少女は、アメリカから日本に転校し、同調圧力の強い日本で個性を出さぬことでひっそりと生きていた。しかし、まわりの少女たちとはっきりと違うミナという少女と出会い、孤独と孤独が引き寄せ合う磁石のように、二人は惹かれ合っていく。ミナもまた自らのセクシャリティに問題を抱え、孤独を抱えていたのだ。この辺の描写は、「サラバ!」という異国で出会う友情を描いた作品とも似ている。

そして、東日本大震災が起きる。アイは東京で地震の恐怖を感じつつ、東京をから離れなかった。親も親友のミナも原発事故の起きた東京から避難しなさいと忠告するが、アイは動かなかった。災害から逃れてきたこれまでの人生と同じにならないように、被災者であることを自ら選ぶのだ。被災地から逃げ出すことを、不幸から免れることを拒否することで、初めて自分で何かを選び、決めることができた。そして、原発反対デモでユウという年上の男性カメラマンと出会う。アイは自分を愛し、認めてくれる男性と初めて恋をし、自信と美しさを身に着けていく。

アイはユウとの子供を産むことで、この世界により確かなつながりを得ようとする。自らが得られなかった「血のつながり」を求めて。しかし、アイはそのつながりを得られぬまま、再び孤独へと突き落とされる。そんなアイを絶望の淵から救うのは、自らの過ちで身ごもった子供を堕胎しようとする親友のミナだった。授かった子供を殺すことが許せないアイと自分の人生を自分で選ぼうとするミナ。二人は、決裂しつつ、アイは再びミナを求めて会いに行く。

何をもって不幸とするのか、何に苦しむのか、人によって違う。生き様は人それぞれだ。傲慢と言われようが、贅沢と言われようが、人は何かで悩み、苦しむ。そのことは誰も咎められない。苦しければ苦しいと言えばいいし、我慢などすべきではない。まわりになど合わせなくていい。しかし、その資格は自分にあるのか?と考えてしまう。人と比較してしまう。そんな苦しみを丸ごと認め、自分を受けれ入れてくれる友や恋人の存在が、いかに大切かを西加奈子は描き続ける。「そこに愛はあるんか?」である。

海外の出来事に無関心な島国に住む日本人は、身近なことにしか関心がない。想像力が欠如しがちだ。海外の争いや戦争のことは遠い世界の出来事だと感じてしまう。西加奈子の育った環境が、このような小説を書かせるのだろうが、多様な世界があり、多様な差別や格差があり、多様な人々の生き方があることを想像することをしなければ、世界とつながれない。違うことを知りつつ、知ろうとすること、想像すること。それが、他者を理解するための第一歩であるはずだ。

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プロフィール

ヒデヨシ

Author:ヒデヨシ
札幌でテレビの仕事をしている
オヤジです。
映画にまつわる雑文です。
2006年からの映画レビュー。
それから、本の感想を少し。


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          <日本映画>
            淵に立つ
            クリーピー 偽りの隣人
            海よりもまだ深く
            ふきげんな過去
            SCOOP!
            永い言い訳
            オーバー・フェンス
            ディストラクション・ベイビーズ
            葛城事件
            湯を沸かすほどに熱い愛
            次点この世界の片隅に


          2015年ベスト10
          <洋画>
            やさしい女
            さよなら人類
            さらば、愛の言葉よ
            毛皮にヴィーナス
            雪の轍
            愛して飲んで歌って
            サンドラの週末
            サイの季節
            インヒアレント・ヴァイス
            ソニはご機嫌ななめ

          <日本映画>
            海街dairy
            岸辺の旅
            FOUJITA
            百円の恋
            この国の空


          2014年ベスト10
          <洋画>
            エレニの帰郷
            グランド・ブタペスト・ホテル
            罪の手ざわり
            ウルフ・オブ・ウォールストリート
            ジャージー・ボーイズ
            インサイド・ルーウィン・デイヴィス
            6才のボクが、大人になるまで。
            フランシス・ハ
            ウォールフラワー
            ある過去の行方

            <日本映画>
            そこのみにて光輝く
            ニシノユキヒコの恋と冒険
            紙の月
            Sventh Code
            私の男


              2013年映画ベスト5
          <洋画>
            1、「愛、アムール」
            2、「ホーリー・モーターズ」
            3、「オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ」
            4、「いとしきエブリデイ」
            5、「ムーンライズ・キングダム」
            ※番外「カリフォルニア・ドールズ」(1981年)

            <日本映画>
            1、「共喰い」
            2、「さよなら渓谷」
            3、「恋の渦」
            4、「リアル 完全なる首長竜の日」
            5、「Playback」(2012年)


            2012年映画ベスト10
          <洋画>
          2、「少年と自転車」
          3、「Pina ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち」
          4、「ライク・サムワン・イン・ラブ」
          5、「きっと ここが帰る場所」
          6、「ドライヴ」
          7、「風にそよぐ草」
          8、「恋のロンドン狂騒曲」
          9、「おとなのけんか」
          10、「別離」
          次点 「裏切りのサーカス」
        番外
          「永遠の僕たち」
          「J・エドガー」
          「家族の庭」

        2、「かぞくのくに」
        3、「演劇1&2」
        4、「夢売るふたり」
        5、「アウトレイジビヨンド」
        番外 「ヒミズ」


      2011年映画ベスト10
      2,「愛の勝利を」
      3,「ブルーバレンタイン」
      4,「愛する人」
      5,「クリスマス・ストーリー」
      6,「トゥルー・グリット」
      7,「SOMEWHERE」
      8,「さすらいの女神(ディーバ)たち」
      9,「エリックを探して」
      10,「シリアスマン」
      次点,「エッセンシャル・キリング」

    2,「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」
    3,「あぜ道のダンディ」
    4,「マイ・バック・ページ」
    5,「冷たい熱帯魚」

    2010年映画ベスト10
    3、フローズン・リバー
    4、アンナと過ごした4日間(2008)
    5、Babble/バブル(2005)
    6、パリ20区、僕たちのクラス
    7、クレイジー・ハート
    8、ずっとあなたを愛してる
    9、千年の祈り
    10、シルビアのいる街で
    次点、闇の列車、光の旅

    3、川の底からこんにちは
    4、さんかく
    5、ノルウェイの森
    次点、乱暴と待機


2009年映画ベスト10
    3、リミッツ・オブ・コントロール
    4、あの日、欲望の大地で
    5、人生に乾杯!
    6、ウェディング・ベルを鳴らせ!
    7、チェンジリング
    8、ロルナの祈り
    9、レスラー
    10、夏時間の庭

<日本映画>
    1、ディア・ドクター
    2、空気人形
    3、ウルトラミラクルラブストーリー
    4、インスタント沼
    5、ノン子36歳(家事手伝い)
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