「戦場でワルツを」

アニメというフィクショナルな描き方でありながら、どこまでも生々しい戦争ドキュメンタリーである。火薬の臭いや死臭が漂ってくる。とてもストレートな映画ともいえる。
戦争で失われた忌まわしい記憶を取り戻す映画になっている。心象風景的に生々しい銃撃戦が描かれる。ワルツを踊るように機関銃を乱射する兵士。街中の銃撃戦を高みから見物しているような市民。生々しさと同時にどこか現実感が希薄だったりもする。それは戦場カメラマンがカメラのレンズを通して見ていた現実を、映画のフィクションのような感覚で撮影していたというエピソードと重なる。非現実感を保たないと耐えられないのだ。戦場カメラマンがカメラを失ってしまった途端に、その現実に耐えられないように。
武器を持ち機関銃を乱射し、人が撃たれて次々と死んでいく虚構のような現実。それがすぐ隣で起きていながらも、どこか現実でないかのような感覚。だからこそ、余計に戦争の生々しさが伝わってくる。人は簡単に死んでいく。銃口を向けさえすれば。その非現実感が日常的に起きている現実。ラストの衝撃の映像まで、ストレートに戦争の現実を突き付けてくる映画だ。
ただ、ややストレートすぎる語り口が単調にも感じた。
英題: WALTZ WITH BASHIR
製作年: 2008年
国: イスラエル/フランス/ドイツ/アメリカ
製作監督・脚本・製作: アリ・フォルマン
美術監督・イラストレーター: デイヴィッド・ポロンスキー
アニメーション監督: ヨニ・グッドマン
音楽: マックス・リヒター
☆☆☆3
(セ)
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tag : 戦争
「シリアの花嫁」
国境・境界で分断された人たちの意識の中でそれを越えようとする映画だ。
背景が複雑。言語もいろいろと飛び交う。アラビア語、ヘブライ語、英語、ロシア語、フランス語。イスラエルに占領されたゴラン高原のある村。イスラムの少数派であるドゥルーズ派の一家族の結婚式。イスラエル国籍を取得しない彼らは、無国籍となった。シリア領だったこの場所は、分断され、新たに引かれた境界線の向こう側にいるシリアの肉親との自由な行き来さえもできなくなった。「叫びの丘」と呼ばれる境界線で、向こう側にいる肉親と拡声器を使って、近況や無事を確認しあうのだという。
シリア側に嫁ぐことはシリア国籍を取得することになり、シリアとイスラエルとの国交がないこの地では、二度とこの村には戻って来れない。そんな花嫁のために、バラバラになった家族が集まってくる。ロシア人女性と結婚したために、父親に勘当された長男、イタリアで商売を成功させている軽い男の次男、この男の元恋人は、国際赤十字のフランス人女性だ。さらな頑固な父は、親シリア派の政治活動家でもあり、イスラエル警察から要注意人物とされている。
そんな複雑な背景でありながら、物語はいたってシンプル。花嫁は形式的には、イスラエルの国を出て、シリア領に入る形になるわけだが、その手続きがなかなかスムーズに行かない。シリアはシリア国内を移動するだけだと考え、イスラエルはイスラエルを出国したと考える。無国籍である彼女の国境を超える手続き。そこには国同士の政治的な思惑やら、官僚の事務的な対応やらがあって、滑稽なほど許可が下りない。
この映画では、男たちが頑固で融通が利かない。それに比べて、花嫁の姉をはじめ、女たちが自由に境界線を越えようとする。つまり、これは国境をめぐる地域的な話でありながら、自らの心の中の境界のめぐる普遍的な物語でもあるのだ。政治や国境や信念や意識がいかに関係を阻害させているか。大切なものはもっと別なところにあるというように、女性たちはその意識の境界を越えようとする。
境界を越える後半のくだりは、滑稽でさえある。その滑稽さこそが私たちの姿なのだ。そんなことをとても複雑な地で、シンプルに描いて見せた佳作だと思う。この映画をイスラエル人監督が作ったということが、何よりも素晴らしい。
☆☆☆☆4
(シ)
背景が複雑。言語もいろいろと飛び交う。アラビア語、ヘブライ語、英語、ロシア語、フランス語。イスラエルに占領されたゴラン高原のある村。イスラムの少数派であるドゥルーズ派の一家族の結婚式。イスラエル国籍を取得しない彼らは、無国籍となった。シリア領だったこの場所は、分断され、新たに引かれた境界線の向こう側にいるシリアの肉親との自由な行き来さえもできなくなった。「叫びの丘」と呼ばれる境界線で、向こう側にいる肉親と拡声器を使って、近況や無事を確認しあうのだという。
シリア側に嫁ぐことはシリア国籍を取得することになり、シリアとイスラエルとの国交がないこの地では、二度とこの村には戻って来れない。そんな花嫁のために、バラバラになった家族が集まってくる。ロシア人女性と結婚したために、父親に勘当された長男、イタリアで商売を成功させている軽い男の次男、この男の元恋人は、国際赤十字のフランス人女性だ。さらな頑固な父は、親シリア派の政治活動家でもあり、イスラエル警察から要注意人物とされている。
そんな複雑な背景でありながら、物語はいたってシンプル。花嫁は形式的には、イスラエルの国を出て、シリア領に入る形になるわけだが、その手続きがなかなかスムーズに行かない。シリアはシリア国内を移動するだけだと考え、イスラエルはイスラエルを出国したと考える。無国籍である彼女の国境を超える手続き。そこには国同士の政治的な思惑やら、官僚の事務的な対応やらがあって、滑稽なほど許可が下りない。
この映画では、男たちが頑固で融通が利かない。それに比べて、花嫁の姉をはじめ、女たちが自由に境界線を越えようとする。つまり、これは国境をめぐる地域的な話でありながら、自らの心の中の境界のめぐる普遍的な物語でもあるのだ。政治や国境や信念や意識がいかに関係を阻害させているか。大切なものはもっと別なところにあるというように、女性たちはその意識の境界を越えようとする。
境界を越える後半のくだりは、滑稽でさえある。その滑稽さこそが私たちの姿なのだ。そんなことをとても複雑な地で、シンプルに描いて見せた佳作だと思う。この映画をイスラエル人監督が作ったということが、何よりも素晴らしい。
☆☆☆☆4
(シ)
tag : 社会派