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「人新世の『資本論』」斎藤幸平

話題の書である。かなり踏み込んだ過激な提言だ。気候変動問題に危機意識をもって対峙し、マルクスの「資本論」を読み直しつつ、「脱成長のコミュニズム」社会の到来を提言した本である。

国連のSDGsの取り組みや「緑の経済成長」と言われるグリーンニューディール政策や従来の左派的な主張や反緊縮政策や公共投資や富の再分配だけでは、環境破壊は止まらないと指摘する。格差を拡大した新自由主義だけが問題なのではなく、経済成長そのものを見直し、資本主義システムを見直さないとダメだという主張だ。

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい)Anthropocene」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

先進国は、グローバル・サウスを犠牲にして「豊かな」生活を享受している。資本主義とは、「外部化社会」を作り出し、そこに様々な負担を転嫁してきた。そのグローバル化が地球の隅々まで及んだために、収奪の対象となる「フロンティア」は消滅した。それは労働力だけではなく、地球環境の収奪に及んでいる。資源、エネルギー、食料もグローバル・サウスから奪われており、その無限の経済成長をやめない限り、地球環境の破壊は止まらない。

ガソリン自動車から電気自動車に転換すると言っても、カギとなるのはリチウム電池だ。スマホやパソコンだけでなく、電気自動車にもリチウムイオン電池が不可欠であり、そのためにはレアメタルが大量に必要となる。リチウムはアンデス山脈沿いの地域に埋まっている。そして、アタカマ塩原のあるチリが最大の産出国だそうだ。また、コバルトもリチウムイオン電池には必要で、コバルトの約6割がアフリカの最貧国、コンゴ共和国で採掘されている。いずれにせよ、電気自動車になってCO2排出が削減されても、経済成長をし続ける限り、労働力の搾取と地球的な環境破壊は形を変えて進行する。

広井良典の「定常型社会」や佐伯啓思も、資本主義社会を維持したまま、社会民主主義的な福祉国家政策によって、新自由主義の市場原理主義を飼い馴らそう、そこに持続可能な理念を加え、脱成長・定常型社会への移行が可能になるという考えだ。しかし、斎藤幸平はそのような楽観的予測を否定する。資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である。繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していく。目標実現のためには、世界中の労働力や資源を利用して、新しい市場を開拓し、わずかなビジネスチャンスも見逃さない。

近年進むマルクス主義の再解釈の鍵は<コモン>の共有にある。社会的に管理されるべき富、それは水や電力、住居、医療、教育といった公共財を自分たちで民主主義的に管理することを目指すものだ。マルクスにとってコミュニズムとは、ソ連のような一党独裁国営化体制を意味するものではなかった。地球を<コモン>として管理する考え方。「資本主義による近代化が、人類の解放をもたらす」という「生産力至上主義」の楽観的な「進歩史観」から、後期マルクスにおいてはエコロジカルな理論的転換があるのだという。人間は「労働」によって、「人間と自然」との関係を取り結ぶ。マルクスは「資本論」刊行以降、熱心に自然科学の研究を続け、ヨーロッパ中心主義から決別し、晩年は共同体研究に熱中していたという。そして「持続可能性」と「平等」についての考察を深めたというのだ。

さて、「脱成長コミュニズム」とは、どのように成し遂げられるのか。<コモン>の市民営化の事例として、「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」の存在を挙げる。「自由の国」を拡張するためには、無限の成長だけを追い求め、人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、総量としては、これまでより少なくしか生産されなくても、全体としては幸福で、公正で、持続可能な社会に向けての「自己抑制」を、自発的に行なうべきだ、とする。闇雲の生産力を上げるのではなく、自制によって「必然の国」を縮小していくことが、「自由の国」の拡張につながる、と本書は説く。

トマス・ピケティは、「21世紀の資本」の考えから転換し、「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型の社会主義」を主張している。単なる再分配にとどまらない社会主義、生産の場における労働者の自由が不可欠だという主張は、本書の主張とも重なるという。労働のあり方を変えることが、自然環境を救うために決定的に重要なのだ。

誰でも無料に食べてよい「公共の果樹」を植えているデンマークのコペンハーゲンの事例、デトロイトで始まった荒れ地を復活させる都市農業、エッセンシャル・ワーク重視の流れ、バルセロナで進められている「フィアレス・シティ」、自治体の気候非常事態宣言。協同組合による参加型社会が生まれつつある。国境を超える自治体主義は「ミュニシパリズム」と呼ばれ、グローバルに展開しだしている。「食料主権」を「資本」から取り戻し、グローバル・サウスから学び、顔の見える関係であるコミュニティや地方自治体をベースにして信頼関係を回復していくしか道はない。はてさて、この夢のような<コモン>」の市民営化は、本当に成し遂げられるのだろうか。今後の議論が深められていくことを期待したい。
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「ペルソナ 脳に潜む闇」中野信子

中野信子はテレビでも人気の脳科学者で、本も売れているようなので、なんとなく読んでみた。「ペルソナ」にまつわる脳科学的な専門的な話がもっと出てくるのかと思っていたら、わりと自分史に関する軽いエッセイだった。

私自身は「無駄を肯定したい」と公言していることをしっかりと明記しておきたい。(略)
何がしたいのか、わかる方がつまらない。何十年も先が見えてしまう方が生き方は退屈ではないのか。見えてしまう方が気持ち悪くないのだろうか。

脳は一貫していることの方がおかしいのだ。自然ではないから、わざわざ一貫させようとして、外野が口を出したり、内省的に自分を批判したりするのである。一貫させるのは、端的に言えば、コミュニティから受けとることのできる恩恵を最大化するためという目的からにすぎない。私たちは、複数の側面を内包しながら、これらを使い分けて生きている。(中略)

私のペルソナ(他者に対峙する時に現れる自己の外的側面)は、私がそう演じている役である、と言ったら言い過ぎだと感じられるだろうか?あなたが、わたしだと思っているものは、わたしではない。一時的に、そういう側面を見て取ってもらっているだけのことである。

過去に存在した事実の集積で、人間はできている。過去の私を語ることが、現在の私を語ることになるのだが、考えてみると、今の私があるのは少し前の私がいたから、そしてその少し前の私がいたのは数年前の私がいたからだ。

と書いているように、人間とは日々変わり続けるものであり、一貫などしていないし、様々なペルソナを使い分けて生きているということだ。すべて納得のこの<まえがき>を読むだけで、この本の内容は尽きている。

「過去の私を語ることが、現在の私を語ることになる」ということで、現在から時代をさかのぼる形の自分史がこの本には書かれている。アレハンドル・ボドロフスキーは「コロナはサイコマジックだ。人の行動を変えていく、自然のサイコマジックなのだ」と語ったそうだが、「脳は毎夜、夢を見ながら、毎朝生まれ変わっている」ことから、変わり続け再構成されていく自分のことを書いている。一貫などしていない何事にも縛られたくないという自分のことを。

人間の闇ばかりに着目してきた彼女は、脳の快楽中枢が人に嘘をつかせたり、不倫をさせたり、毒親になったり、正義中毒になったり、さまざまな愚かなことを行うことを理解している。一貫性もなければ、ブレブレになる事も、それも脳の調整機能だったりする。だから「ポジティブ心理学」が嫌いだという。ポジティブであることを必要以上に強要され、人間の自然なネガティブさを許さない考えが好きではない、と。ポジティブであることの「禍々しい明るさ」や「胡散臭さ」にうんざりするという。特に日本人は「環境圧力」に敏感で「きちんとしていなければならない」と考える傾向は、呪いをかけられているのだと指摘する。

中野信子自身が幼少期の頃から、人と合わすことができず極端にコミュニケーション能力がなかったようだ。そしていつも頭痛もちでイライラするし、ネガティブな性格。子供の時に母親からも認めてもらえず、人と一緒にいるより孤独が好きだったという。一方で頭が良かったことが、まわりからも距離を持たれ、勉強することしかなかった。しかし、アカデミズムの世界では女性差別やセクハラばかりで、その理不尽さに戸惑い、怒り、生きづらさをずっと抱えていたようだ。テレビに出るようになって、タレントたちのコミュニケーション能力を必死に学んだという。「わたしはモザイク状の多面体である」という言葉を本のおわりに書いているが、「らしく」の呪縛から逃れ、中野信子という人間が何者なのかは、読者自身が作り上げるものであると語る。

「これは私の物語のようであって、そうではない。本来存在しないわたしが反射する読み手の皆さんの物語でもある。」

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「しょぼい生活革命」内田樹×えらいてんちょう(矢内東紀)晶文社

えらいてんちょうの矢内東紀という人は知らなかった。彼の経歴が驚きだ。両親が東大全共闘の生き残り。原始共産制的コミューンで育ち、6歳ごろまで誰が母親か知らなかったという。「お父さんたち」「お母さんたち」という大人たちと一緒に暮らしたそうだ。そんなコミューン組織の後継者と言われていたのに、離脱してバーや塾の起業、経営コンサルタントにユーチューバーとなった。知人が廃業する予定の学習塾を引き継ぎ軌道に乗せ、池袋でイベントバー「エデン」を開店させ、事業を拡大し、全国で10店、バンコクにフランチャイズ店も展開しているそうだ。

この本は、やや内田樹がいつものようにしゃべりすぎて、矢内東紀の話をもっと聞きたかった。だから、いまひとつ彼のことがわからない。この対談の仲立ちをしたのが、イスラーム法学者の中田考。中田考氏のあとがきにある内田樹の引用、師弟関係で「パスをすること」の重要性を書いていて、中田氏は新しい世代の矢内東紀をパスの相手に選んだという。

師弟関係で継承されるものは実定的なものではなく、師を仰ぎ見るときの首の「仰角」である。これは師弟の間にどれほどの知識や情報量の差異があろうとも、かわることがない。
師弟関係における「外部への回路」は、「師の師への欲望」を「パスする」ことによって担保される。(・・・中略・・・)
師弟関係において「欲望のパス」をしない人間―‐つまり弟子の欲望を「私自身へのエロス的欲望」だと勘違いする人間―‐は、ラグビーにおいてボールにしがみついて、試合が終わってもボールを離さないプレイヤーのような存在である。彼は自分の仕事が「ボールを保持すること」ではなく、「ボールをパスすること」であり、「ボールそのもの」には何のか価値もないことを知らない。
「師の師への欲望」として「顔の彼方」へとパスされてゆくはずの欲望が二者間で、循環することの息苦しさに気づかない師弟たちだけが、出口のない官能的なエロス的な関係のなかで息を詰まらせて行くのである。
真の師弟関係には必ず外部へと吹き抜ける「風の通り道」が確保されている。あらゆる欲望はその「通り道」を吹き抜けて、外へ、他者へ、未知なるものへ、終わりなく、滔滔と流れていく。師弟関係とはなによりもこの「風の通り道」を穿つことである。
師はまず先に「贈り物」をする。その贈り物とは「師の師への欲望」である。(・・・略・・・)
そして、師から「欲望の贈り物」を受け取った弟子は、それを師に返すのではなく、自分の弟子に贈る。その永遠の「パス」によって師弟関係の「非対称性」は確保される。 (「内田樹の研究室」2002年2月13日)


この本はそんな「パス」でもある。内田樹ー中田考ー矢内東紀。対談は全共闘に欠けていた身体性の話から共同体の話へ進む。

「中途半端であったり、葛藤したり、いくつかの原理が拮抗していて、にわかに答えが出し難い状態こそが「身体を持っている」ということであって、そこからしか、多数の人間が、それぞれの個別性を維持しながら共生できる環境って生まれないと思うんです。(内田)


自分の想像で多様性を設計すると危ないと思っています。(矢内)
僕も理解と共感の上に共同体を築くという考え方には反対なんです。逆に、理解も共感もできない人だけれど、限定的なことについては一致できる人と共生できるし協働できるということのほうがずっと重要だと思っています。それが集団の基本なんじゃないでしょうか。(内田)


共同体の基本は、参加者全員の「持ち出し」ということ。「持ち出し過剰」で、自分の「割り前」の戻りはないもの。
みんなが自分の「ギフト」を差し出す。すると、みんなのギフトが供託された場所ができますね。そこに「公共」というものが成立する。(内田)


そして、末期資本主義の話から「しょぼいビジネス」をやって「まっとうな資本主義」を再生したいという矢内氏。闇市をやりたいと語る。そしてしょぼいM&Aをやって、つぶれそうな店を引き継いでいく。事業の多様性を維持しながら、多くの人を食わせることができる。(矢内)

さらに話題は、教育、福祉制度、地方移住や空き家問題へ。日本にいる100万人のひきこもりが地方の限界集落の空き家に移住する計画の話も。さらに宗教や未来の日本とアジア(日本・韓国・台湾)の安定的関係について語られていく。

軽い雑談風な対談本なので気楽の読める。内田樹氏の話はいつもと同じなのだが、ユーチューバーで起業家の新しい感性の若者により饒舌になっている感じだ。持続可能性を見据えた「しょぼいビジネス」という矢内氏の考えが興味深かった。

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「みみずくは黄昏に飛び立つ」川上未映子 訊く/村上春樹 語る

小説家の書き方は人それぞれなのだろうけれど、村上春樹の書き方も独特だ。

タイトルとか登場人物の名前とか、書き出しの文章がパッと思いつく。そういうものをしばらく時間をかけて置いておく。そして何かが書けるようになるまで待つ。何か月か、あるいは数年。待つことが小説家の仕事だと彼は言い切る。そう、何かが降りてくるのを待つのだ。

そして1日10枚と決めて書き出す。物語の全体像も構成も決めずに。ただただ書けることを書いていく。そして小説を一気の書き上げたあと、また時間をかけて何度も練り直していく。第5稿、第8稿というように。何度も何度も文章を練り直す。その繰り返し。

初期の自分の小説は恥ずかしくて読み直さないのだという。読むと直したくなるから。そうやって文章の熟練度を上げてきた。わかりやすい文章をひたすら追求するのだという。誰が読んでもわかる文章。修辞的な、こねくりまわした文体ではなく。だから翻訳されても、伝わるものは変わらないはずだと彼は語る。だから世界で読まれるのだと、彼はそういう自信を持っている。小説家としての自負。

テーマなど考えない。文体こそがすべてだという。「意味を見ないようにするし、その意味で足を止めたら最後」なのだそうだ。「物語の構造的なことをいちいち考える余裕はない」と言う。「メタファー」も「イデア」もただの言葉の思いつき。「騎士団長殺し」の「騎士団長」が変な口調で自らを「イデアである」と名乗り、「顔なが」が「メタファー」だと自ら名乗る。川上未映子があのプラトンの「イデア」ですよね、と聞くのだが、村上春樹はプラトンの「イデア」を理解しないまま言葉のインスピレーションだけで書いたのだそうだ。「プラトンなんて読んだことない」し、調べもせずに。フィクションなのだから、意味が違っていても何の問題もないと。

深い意味など考えていない。「考えることをあえてしない」と言う。自らの意識下の集合的無意識の世界、「地下二階」の空間に降りていって、自分でもわからない世界をめぐりつつ、言葉を探り、文章を紡ぎ出す。

文章を書くときの規範は二つだけ。

ゴーリキーの「どん底」で、乞食なようなものが「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねいや」と答える。「聞こえてら」と返すのではなく、「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやり取りに動きが生まれる。
もうひとつは、比喩のこと。チャンドラーは「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」と書いた。そこに「へぇー」という反応が生まれる。動きが生まれる。この二つが僕の文章の書き方のモデルになっている。


リアリスティックに現実の世界を生きてはいるけれど、その地下には僕の影が潜んでいて、それが小説を書いているときにずるずるとはい上がってきて、世間一般が考えるリアリティみたいなものを押しのけていきます。そういう作業の中に、僕は自分の影というものを見ようとしている。



考えるとつまらなくなる。図式的になる。観念的なメッセージを伝えたくて小説を書いているんじゃない。小説を書きたくて、フィクションを書きたくて、小説を書いているのだ、と。現実の事件や出来事は参考にしない。現実をフィクションに利用しない。あくまでも自分の地下2階を「壁抜け」して通過させて、フィクションとして文章を書くのだ。その文章技術を錬金術師のように磨いているようだ。だからある意味、同じことを書いてると言えるのかもしれない。自分の中で唯一、リアリティな世界を書いたのが「ノルウェイの森」だ。あれは文章的に稚拙だけれど、あの時にしか書けなかったものだそうだ。

最初は一人称単数「僕」でしか小説は書けなかったらしい。それが物語が複雑に大きくなってきて、一人称単数だけでは描き切れなくなって、三人称で書くようになったとか。確か「ねじまき鳥」だったかな。そんな風にして物語を大きくして、一人称の世界から飛躍したのだそうだ。そしてまた、「僕」から「わたし」へと変化を遂げて、「騎士団長」は「わたし」の一人称単数に戻って書きたくなったんだとか。

観念ではなく、言葉のディティールから書いていく方法が面白いと思った。やはりすべては細部に宿るんでしょうね。

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ユリイカ「蓮實重彦」平成29年10月臨時増刊号を読んで(青土社)

1970年代に思春期を迎えた映画好きな者たちにとって、蓮實重彦の映画批評を読んだ者と読んでいない者たちの差は大きい。それだけ蓮實重彦の映画批評は鮮烈であったし、虜になる魅力的なものであった。彼の批評を読んで、その影響を免れる者は少ない。当時、映画好き・シネフィルたちは、ほとんどすべて蓮實重彦の文章の囚われ人であったのではないだろうか。蓮實重彦以前と蓮實重以降が確実に存在している。私もまたその一人であった。ユリイカの「蓮實重彦」臨時増刊号を読んで、蓮實重彦とは何だったのか?そのことをあらためて考えてみた。

蓮實重彦門下といわれる映画制作者たちが彼のゼミから多数生まれた。2017年10月ユリイカ臨時増刊号には、蓮實ゼミを経験した映画監督、黒沢清、万田邦敏、青山真治の座談会が採録されており、当時の授業を様子が語られている。大学の受講者に年間100本以上の映画を観ていないと授業に参加する資格なしと断じ、映画を観た感想として「何が見えましたか?」、「何が映っていましたか?」と徹底して問い続けた。映画の表層にとどまり続けることを『表層批評宣言』(1979年)で自ら宣言し、物語の主題や社会的背景、制作者の履歴といった映画を取り巻く多種多様な外的要素への参照を一切捨象して、あくまでも観客の瞳に映る具体的かつ物質的な「画面」のみを頼りに組み立てられる批評(渡邊大輔氏の寄稿より引用)にこだわった。

蓮實自身の言葉によれば、「矛盾をはらむ複雑な総合体としての一篇のフィルムを、物語に、人物論に、作者の思想に、時代思潮に、映像の審美趣味に還元してしまう常識化する偏見」への抗い。「その現実を抽象化するあらゆる映画的言説」へのときに差別的なまでの徹底した批判。

蓮實門下の映画制作者たちはほかにも、周防正行、塩田明彦、中田秀夫、舩橋淳などがおり、それら気鋭の映画監督たちが「蓮實重彦とは自分にとって何者だったとのか」と振り返り、寄稿している文章が面白い。中田秀夫は、「社会的メッセージ」などの観点から語るそれまでの「映画批評」から我々の視覚と聴覚を自由にし、かつ鍛錬してくれた」と当時を語り、「不在として表すのが表現の根本」だということを学び、「自分よりも映画をよく観ている人、映画について豊かに語れる人に嫉妬せよ」と教えられたそうだ。

それはフランス文学研究者でもある蓮實重彦の『ボヴァリー夫人」論』とも通じ合っており、「小説/芸術作品を手がけた作家と、鑑賞する読み手に横たわる権力構造、言うなればメッセージの送り手と受け手のヒエラルキーとは縁も所縁もない地平で、テキストの表層のみに注目し、そこに「まどろんでいる記号」の数々を浮上させることに意義を見出したことが少なからず影響しているのかもしれない」(舩橋淳氏の寄稿より引用)。

蓮實重彦の批評は、映画が映画館でしか観られない時代にあって、強烈に観客に影響を与えた。まさに映画館でフィルムを観ることは「体験」だった。それが何度でも繰り返し、DVDやネット動画で観られるようになった時、その「フィルム体験」の鮮烈さが失われつつある。映画館で耳を澄まし、画面の隅々にまで視線を走らせ、全神経を集中させて、何一つ見逃すまい、聴き逃すまいと暗闇で身構えるその姿勢は、比較的容易に見直せるネット環境下で薄れてきたような気がする。

DVDやヴィデオが存在する以前に、映画を見ることでわれわれの何が鍛えられたかというと、動体視力です。流れ星のように、一瞬、画面に生起した運動をどこまで見ることができるか。・・・映画の一つの画面にこめられた一瞬ごとの情報量はめちゃくちゃに多い。その中である種の中心化がなされていて、映画作家も構図のうえで、あるいは照明の具合によって、さらには被写体との距離によって、「ここを見ろ」という一点を示しているし、確かにそうしたところは見なきゃいけない。しかし、あくまで文化的な制度にすぎないこの中心化にさからい、周縁に追いやられているものだって、われわれの瞳には見えてしまう。ときには、映画作家がまったく意図していないものが、われわれの感性を揺るがすことだってあります。(蓮實重彦「リアル批評のすすめ」より)

蓮實重彦は素晴らしい動体視力の持ち主だった。彼の批評を読むことは、まるで映画そのものを観るようでもあったし、全く見逃していた細部に気づかされることも度々だった。「文化的制度に過ぎない中心化」に抗い、徹底してカメラのごとく、画面の隅々から「何か」を見つけだし、物語中心主義ではない新たな批評の地平を切り開いた。

それはとても戦略的な挑発的な批評だった。「文化的制度」から視線の自由を取り戻すためであり、「一篇のフィルムとの遭遇」に真摯に向き合い、「不意打ちを食らうような事件」としての運動体験こそ実感せよ、と私たちに教えてくれた。リュミエールの『ラ・シオタ駅への列車の到着』の映画原初体験のように。一方で、蓮實のエピゴーネンたちは、画面の細部にこだわり過ぎ、批評の「倒錯」も生んだと三輪健太朗氏は指摘している。記号の解釈でしかない批評。記憶には限界があり、細部の記憶違いも含めて映画体験なのだ。

解釈するのではなく、画面の隅々にまで目を走らせながら、社会的背景や文化的制度に惑わされず、純粋に光の明滅からなる様々な記号たちの戯れに身を任せ、運動の体験として映画を感じること、見ること、を蓮實重彦は私たちに教えてくれたような気がする。 

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プロフィール

ヒデヨシ

Author:ヒデヨシ
札幌でテレビの仕事をしている
オヤジです。
映画にまつわる雑文です。
2006年からの映画レビュー。
それから、本の感想を少し。


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            サイの季節
            インヒアレント・ヴァイス
            ソニはご機嫌ななめ

          <日本映画>
            海街dairy
            岸辺の旅
            FOUJITA
            百円の恋
            この国の空


          2014年ベスト10
          <洋画>
            エレニの帰郷
            グランド・ブタペスト・ホテル
            罪の手ざわり
            ウルフ・オブ・ウォールストリート
            ジャージー・ボーイズ
            インサイド・ルーウィン・デイヴィス
            6才のボクが、大人になるまで。
            フランシス・ハ
            ウォールフラワー
            ある過去の行方

            <日本映画>
            そこのみにて光輝く
            ニシノユキヒコの恋と冒険
            紙の月
            Sventh Code
            私の男


              2013年映画ベスト5
          <洋画>
            1、「愛、アムール」
            2、「ホーリー・モーターズ」
            3、「オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ」
            4、「いとしきエブリデイ」
            5、「ムーンライズ・キングダム」
            ※番外「カリフォルニア・ドールズ」(1981年)

            <日本映画>
            1、「共喰い」
            2、「さよなら渓谷」
            3、「恋の渦」
            4、「リアル 完全なる首長竜の日」
            5、「Playback」(2012年)


            2012年映画ベスト10
          <洋画>
          2、「少年と自転車」
          3、「Pina ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち」
          4、「ライク・サムワン・イン・ラブ」
          5、「きっと ここが帰る場所」
          6、「ドライヴ」
          7、「風にそよぐ草」
          8、「恋のロンドン狂騒曲」
          9、「おとなのけんか」
          10、「別離」
          次点 「裏切りのサーカス」
        番外
          「永遠の僕たち」
          「J・エドガー」
          「家族の庭」

        2、「かぞくのくに」
        3、「演劇1&2」
        4、「夢売るふたり」
        5、「アウトレイジビヨンド」
        番外 「ヒミズ」


      2011年映画ベスト10
      2,「愛の勝利を」
      3,「ブルーバレンタイン」
      4,「愛する人」
      5,「クリスマス・ストーリー」
      6,「トゥルー・グリット」
      7,「SOMEWHERE」
      8,「さすらいの女神(ディーバ)たち」
      9,「エリックを探して」
      10,「シリアスマン」
      次点,「エッセンシャル・キリング」

    2,「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」
    3,「あぜ道のダンディ」
    4,「マイ・バック・ページ」
    5,「冷たい熱帯魚」

    2010年映画ベスト10
    3、フローズン・リバー
    4、アンナと過ごした4日間(2008)
    5、Babble/バブル(2005)
    6、パリ20区、僕たちのクラス
    7、クレイジー・ハート
    8、ずっとあなたを愛してる
    9、千年の祈り
    10、シルビアのいる街で
    次点、闇の列車、光の旅

    3、川の底からこんにちは
    4、さんかく
    5、ノルウェイの森
    次点、乱暴と待機


2009年映画ベスト10
    3、リミッツ・オブ・コントロール
    4、あの日、欲望の大地で
    5、人生に乾杯!
    6、ウェディング・ベルを鳴らせ!
    7、チェンジリング
    8、ロルナの祈り
    9、レスラー
    10、夏時間の庭

<日本映画>
    1、ディア・ドクター
    2、空気人形
    3、ウルトラミラクルラブストーリー
    4、インスタント沼
    5、ノン子36歳(家事手伝い)
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