「殺人の追憶」ポン・ジュノ
ポン・ジュノの監督2作目で評価の高い作品という予備知識だけで見たのだが、事件が解決しない犯罪ミステリーで驚いた。最後になっても犯人が捕まらないし、わからないのだ。ラストは、刑事を辞めてサラリーマンになったソン・ガンホが、殺人現場に立ち寄りそこで、同じように犯人がこの犯行現場に来ていて、普通に暮らしていることを知る。少女に「どんな顔してた?」と聞くと、「普通の顔」と答えが返ってくる。犯人がいまだに捕まらずに、市民の中に混じって普通に暮らしている理不尽さを描いて映画は終わるのだ。
1986年、実際の未解決連測強姦殺人事件を扱ったものらしい。10人の犠牲者を出した華城連続殺人事件。2019年にDNA鑑定によって、ようやく真犯人が分かり、別の事件で刑務所に収監されていた男が罪を認め、14件の殺人と34件の強盗強姦事件を告白したらしい。この事件では冤罪で投獄されていた者もいたそうだ。
ポン・ジュノ監督は未解決事件としてこの映画を撮った。韓国映画界ではすっかり有名になったソン・ガンホが狂言回しでいい味を出している。単純で直情的な庶民派刑事にソン・ガンホ、ソウルから来た頭脳派刑事にキム・サンギョン。対照的な二人の刑事を軸に犯罪捜査は進められていく。茶番のような決めつけ捜査に自白の強要・拷問が滑稽な感じで描かれ、警察の捜査そのものを皮肉っている。シリアスな犯罪ミステリーではなく、どこか笑いを誘うマヌケでドタバタもあるエンタメ刑事映画だ。しかし、扱っている強姦殺人はあくまでも重く、韓国の軍事政権下の当時の世相も映し出している。
雨の日と赤い服の女、ラジオの歌謡曲のリクエスト。繰り返される事件をヒントに囮捜査が行われ、容疑者が浮かんでくるのだが、証拠の決め手に欠ける。結局は、韓国ではDNA鑑定ができないため、アメリカに鑑定を依頼することになる。肝心の真犯人を挙げられないジレンマは、韓国とアメリカアの関係の暗喩か。その間にも強姦殺人事件が起き、冷静だったキム・サンギョン刑事がマークしていた容疑者を撃ち殺そうとまで逆上する。犯人探しのミステリーからいつしか物語は刑事たちの人間ドラマへと移行していく。雨、列車、トンネル、畑、工場などロケ地を効果的に使いながら、社会に横たわる謎と闇、人間が悩み蠢く卑小さを浮き彫りにしていく。犯人が分からないという中途半端さをあえて逆手に取って、人間社会の不可解さ、理不尽さとして描いている。目をじっと見て相手のことが分かれば苦労しない。誰もが他人に知られない闇を抱えている。
2003年製作/130分/PG12/韓国
原題:Memories of Murder
配給:シネカノン
監督:ポン・ジュノ
製作:ノ・ジュンユン、チャ・スンジェ
脚本:ポン・ジュノ、 シム・ソンボ
撮影:キム・ヒョング
音楽:岩代太郎
キャスト:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・レハ、ソン・ジェホ、ピョン・ヒボン、パク・ノシク、チョン・ミソン
☆☆☆☆4
(ツ)
1986年、実際の未解決連測強姦殺人事件を扱ったものらしい。10人の犠牲者を出した華城連続殺人事件。2019年にDNA鑑定によって、ようやく真犯人が分かり、別の事件で刑務所に収監されていた男が罪を認め、14件の殺人と34件の強盗強姦事件を告白したらしい。この事件では冤罪で投獄されていた者もいたそうだ。
ポン・ジュノ監督は未解決事件としてこの映画を撮った。韓国映画界ではすっかり有名になったソン・ガンホが狂言回しでいい味を出している。単純で直情的な庶民派刑事にソン・ガンホ、ソウルから来た頭脳派刑事にキム・サンギョン。対照的な二人の刑事を軸に犯罪捜査は進められていく。茶番のような決めつけ捜査に自白の強要・拷問が滑稽な感じで描かれ、警察の捜査そのものを皮肉っている。シリアスな犯罪ミステリーではなく、どこか笑いを誘うマヌケでドタバタもあるエンタメ刑事映画だ。しかし、扱っている強姦殺人はあくまでも重く、韓国の軍事政権下の当時の世相も映し出している。
雨の日と赤い服の女、ラジオの歌謡曲のリクエスト。繰り返される事件をヒントに囮捜査が行われ、容疑者が浮かんでくるのだが、証拠の決め手に欠ける。結局は、韓国ではDNA鑑定ができないため、アメリカに鑑定を依頼することになる。肝心の真犯人を挙げられないジレンマは、韓国とアメリカアの関係の暗喩か。その間にも強姦殺人事件が起き、冷静だったキム・サンギョン刑事がマークしていた容疑者を撃ち殺そうとまで逆上する。犯人探しのミステリーからいつしか物語は刑事たちの人間ドラマへと移行していく。雨、列車、トンネル、畑、工場などロケ地を効果的に使いながら、社会に横たわる謎と闇、人間が悩み蠢く卑小さを浮き彫りにしていく。犯人が分からないという中途半端さをあえて逆手に取って、人間社会の不可解さ、理不尽さとして描いている。目をじっと見て相手のことが分かれば苦労しない。誰もが他人に知られない闇を抱えている。
2003年製作/130分/PG12/韓国
原題:Memories of Murder
配給:シネカノン
監督:ポン・ジュノ
製作:ノ・ジュンユン、チャ・スンジェ
脚本:ポン・ジュノ、 シム・ソンボ
撮影:キム・ヒョング
音楽:岩代太郎
キャスト:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・レハ、ソン・ジェホ、ピョン・ヒボン、パク・ノシク、チョン・ミソン
☆☆☆☆4
(ツ)
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「立ち去った女」ラブ・ディアス
フィリピンの鬼才ラブ・ディアス監督作品を初めて見る。第73回ベネチア国際映画祭で金獅子賞ほか各映画祭などでも評価の高いラブ・ディアス監督の映画はとにかく長い。9時間を超える映画もあるそうで、3時間48分のこの映画は短いほうだとか。しかし、映画館で観たい映画だ。ロングショットを多用した長回し。単調な物語。家のテレビ画面で見るには、かなりの集中力を必要とする。深夜とかに見ると睡魔と戦うことになる。体調がいい時を選んで覚悟して見始めた。
白黒の固定カメラ映像が圧倒的で美しい。光と影。カット数は少ない。長回しでアップはほとんどない。人物は風景の一部となっている。顔の表情などよくわからない。影だったりもする。時々、そこに人物がいるのかさえ分からない。動き出して初めて存在がわかったりする。風景に溶け混んでいるのだ。人物中心の映画ではない。あくまでも登場人物はフィリピンの街の一部であり、風景のなかで生きているにすぎない。人物を描くために映像があるのではなく、あくまでもフィルピンの現実を切り取った映像があり、そこに人物が佇んでいるという感じだ。すべてのカットは美しく、決まっている。ラブ・ディアス監督自らカメラを担当しているので、サイズや画角も全部決めているのだろう。フィルピンの緑が美しいだろうとカラーも想像するが、その白黒映像の光と影の美しさは完璧だ。「ROMA」というメキシコ映画の白黒映像も美しかったが、ラブ・ディアスのカメラの映像も素晴らしい。女装したゲイが夜、坂の上で横からの光に浮き上がり、スカートを翻しステップを踏みダンスをする映像は、まるで天使が舞い降りたような美しいカットだ。
物語はいたって単純。30年間冤罪で女性刑務所に入れられていた主人公の復讐の物語。同じ刑務所の中の友人に殺しの罪を着せられ、その殺しの黒幕である元恋人への復讐を考え、出所後にその男に近づく。島の有力者になった男を暗闇の中で待つ女。物乞いの女や卵売りの男や女装したゲイ、さらに貧困層の子供たちなどが登場し、女はそんな貧しき最下層の人たちに慈悲の心で優しく接する。その一方でピストルを手に入れ、男を殺そうと準備する。その殺人を実行するつもりだった前夜、傷だらけになったゲイが彼女の家を訪れ、運命が変わっていく。
1997年のフィリピンの時代設定。中国系フィリピン人の富裕層の子供たちを狙った誘拐事件が多発し、香港の中国返還やマザー・テレサの死のニュースがラジオから流れてくる。卵売りがうろうろする夜の路上シーンが多い。物乞いやバラックで暮らす貧困家庭が映し出される。女装したゲイは日本にも働きに行ったが人生に絶望し、死に場所を求めてこの島に来た。そんな人々周辺の人生がフィリピンの路地とともに浮かび上がってくる。立派な住宅や教会に集う島の有力者たちとの格差。自らの邪悪な心と向き合い、神の存在を神父に問う復讐される男の場面もあるが、その矛盾に満ちた存在そのものを肯定も否定もせずに、そのまま画面に映し出す。主役の女性も冤罪の怒りに駆られているわけではない。30年の間に最愛の夫を亡くし、息子は行方不明という人生の不条理を抱えたまま、人に優しくし、復讐の思いも心に秘める。その矛盾そのものが人生であり、この社会である。その善悪を超えた複雑さそのものを、丸ごとカメラに収めているような映画だ。
2016年製作/228分/フィリピン
原題:Ang babaeng humayo
配給:マジックアワー
監督・脚本・撮影・編集:ラブ・ディアス
製作総指揮:ロナルド・アーグエイエス
キャスト:チャロ・サントス・コンシオ、ジョン・ロイド・クルズ、マイケル・デ・メサ、シャマイン・センテネラ・ブエンカミノ、ノニー・ブエンカミノ、マージ・ロリコ、メイエン・エスタネロ、ロメリン・セイル、ラオ・ロドリゲス、ジーン・ジュディス・ハビエル
☆☆☆☆4
(タ)
白黒の固定カメラ映像が圧倒的で美しい。光と影。カット数は少ない。長回しでアップはほとんどない。人物は風景の一部となっている。顔の表情などよくわからない。影だったりもする。時々、そこに人物がいるのかさえ分からない。動き出して初めて存在がわかったりする。風景に溶け混んでいるのだ。人物中心の映画ではない。あくまでも登場人物はフィリピンの街の一部であり、風景のなかで生きているにすぎない。人物を描くために映像があるのではなく、あくまでもフィルピンの現実を切り取った映像があり、そこに人物が佇んでいるという感じだ。すべてのカットは美しく、決まっている。ラブ・ディアス監督自らカメラを担当しているので、サイズや画角も全部決めているのだろう。フィルピンの緑が美しいだろうとカラーも想像するが、その白黒映像の光と影の美しさは完璧だ。「ROMA」というメキシコ映画の白黒映像も美しかったが、ラブ・ディアスのカメラの映像も素晴らしい。女装したゲイが夜、坂の上で横からの光に浮き上がり、スカートを翻しステップを踏みダンスをする映像は、まるで天使が舞い降りたような美しいカットだ。
物語はいたって単純。30年間冤罪で女性刑務所に入れられていた主人公の復讐の物語。同じ刑務所の中の友人に殺しの罪を着せられ、その殺しの黒幕である元恋人への復讐を考え、出所後にその男に近づく。島の有力者になった男を暗闇の中で待つ女。物乞いの女や卵売りの男や女装したゲイ、さらに貧困層の子供たちなどが登場し、女はそんな貧しき最下層の人たちに慈悲の心で優しく接する。その一方でピストルを手に入れ、男を殺そうと準備する。その殺人を実行するつもりだった前夜、傷だらけになったゲイが彼女の家を訪れ、運命が変わっていく。
1997年のフィリピンの時代設定。中国系フィリピン人の富裕層の子供たちを狙った誘拐事件が多発し、香港の中国返還やマザー・テレサの死のニュースがラジオから流れてくる。卵売りがうろうろする夜の路上シーンが多い。物乞いやバラックで暮らす貧困家庭が映し出される。女装したゲイは日本にも働きに行ったが人生に絶望し、死に場所を求めてこの島に来た。そんな人々周辺の人生がフィリピンの路地とともに浮かび上がってくる。立派な住宅や教会に集う島の有力者たちとの格差。自らの邪悪な心と向き合い、神の存在を神父に問う復讐される男の場面もあるが、その矛盾に満ちた存在そのものを肯定も否定もせずに、そのまま画面に映し出す。主役の女性も冤罪の怒りに駆られているわけではない。30年の間に最愛の夫を亡くし、息子は行方不明という人生の不条理を抱えたまま、人に優しくし、復讐の思いも心に秘める。その矛盾そのものが人生であり、この社会である。その善悪を超えた複雑さそのものを、丸ごとカメラに収めているような映画だ。
2016年製作/228分/フィリピン
原題:Ang babaeng humayo
配給:マジックアワー
監督・脚本・撮影・編集:ラブ・ディアス
製作総指揮:ロナルド・アーグエイエス
キャスト:チャロ・サントス・コンシオ、ジョン・ロイド・クルズ、マイケル・デ・メサ、シャマイン・センテネラ・ブエンカミノ、ノニー・ブエンカミノ、マージ・ロリコ、メイエン・エスタネロ、ロメリン・セイル、ラオ・ロドリゲス、ジーン・ジュディス・ハビエル
☆☆☆☆4
(タ)
「タクシー運転手 約束は海を越えて」チャン・フン
実話の映画化である。1980年5月、韓国の光州で起きた軍による民衆蜂起への大弾圧事件、光州事件が描かれている。1979年10月26日、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、18年にわたる軍事独裁政権が終わった。しかし軍部がクーデターで事実上、政権の実権を握ると、軍事政権の復活を警戒する学生らの民主化デモは韓国全土に拡大した。軍の実権を握っていた全斗煥は、戒厳令を発令し、金大中や金泳三ら民主的政治家を連行した。そんな時、光州事件は起きた。南部の光州市で蜂起した学生や一般市民を弾圧しようと軍が次々と銃を向けたのだ。韓国軍も民衆も同じ韓国の国家を歌いながら、衝突したそうだ。韓国国旗を掲げつつ。そんな蜂起する市民たちを応援したのが地元のタクシー運転手たちだったそうだ。
映画はそんな政治的な話をまったく感じさせないせこいダメ親父のタクシー運転手をソン・ガンホが演じ、能天気な鼻歌まじりの運転と町中で騒ぐデモの学生たちへの悪態から映画は始まる。しっかり者の小さな娘と二人暮らし。家主の息子に娘がいじめられても、家賃を滞納していて文句も言えない情けないオヤジ。外国人を光州に連れて行って戻ってくれば大金が手に入るという話を聞いて、欲に目がくらんで、他の運転手のお客を盗むのだ。それがドイツ人記者だった。
光州に着いてからの民衆と軍の攻防は全く別の映画だ。ジャーナリズムとは?自由とは?国家とは?なぜ同じ国民同士でこれほど残酷な行為が行われるのか?政治的衝突がシリアスに描かれ、戦いのために命を懸ける市民たち、同志の絆や友情が描かれる。
1980年でまだこんなことが起きていた韓国の現実をあらためて認識しつつ、韓国軍の非人道性をかなり一方的に描かれている。極端な「正義」の名の下に盲目に従う人間の愚かさ、怖さを感じた。言うまでもなく、ソン・ガンホという役者がいなかったら、これほど感動的な映画になっていなかっただろう。圧倒的な存在感だ。恐るべし、ソン・ガンホである。
2017年製作/137分/G/韓国
原題:A Taxi Driver
配給:クロックワークス
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
撮影:コ・ナクソン
音楽:チョ・ヨンウク
キャスト:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・へジン、リュ・ジョンヨル
☆☆☆☆4
(タ)
映画はそんな政治的な話をまったく感じさせないせこいダメ親父のタクシー運転手をソン・ガンホが演じ、能天気な鼻歌まじりの運転と町中で騒ぐデモの学生たちへの悪態から映画は始まる。しっかり者の小さな娘と二人暮らし。家主の息子に娘がいじめられても、家賃を滞納していて文句も言えない情けないオヤジ。外国人を光州に連れて行って戻ってくれば大金が手に入るという話を聞いて、欲に目がくらんで、他の運転手のお客を盗むのだ。それがドイツ人記者だった。
光州に着いてからの民衆と軍の攻防は全く別の映画だ。ジャーナリズムとは?自由とは?国家とは?なぜ同じ国民同士でこれほど残酷な行為が行われるのか?政治的衝突がシリアスに描かれ、戦いのために命を懸ける市民たち、同志の絆や友情が描かれる。
1980年でまだこんなことが起きていた韓国の現実をあらためて認識しつつ、韓国軍の非人道性をかなり一方的に描かれている。極端な「正義」の名の下に盲目に従う人間の愚かさ、怖さを感じた。言うまでもなく、ソン・ガンホという役者がいなかったら、これほど感動的な映画になっていなかっただろう。圧倒的な存在感だ。恐るべし、ソン・ガンホである。
2017年製作/137分/G/韓国
原題:A Taxi Driver
配給:クロックワークス
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
撮影:コ・ナクソン
音楽:チョ・ヨンウク
キャスト:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・へジン、リュ・ジョンヨル
☆☆☆☆4
(タ)
「夜の浜辺でひとり」ホン・サンス
ホン・サンスの映画はいつも同じ。ほとんど固定カメラのパンやズームを使いながらの長回し。会話劇である。
監督のと不倫スキャンダルによりソウルからハンブルグにやっててきた女優ヨンヒ(キム・ミニ)が女友達と会話するだけの前半。女友達の交友関係と知り合いながら、「ここに住もうかしら」などと話しつつ、元監督の彼が来るのを待っている。そして、夜の浜辺で元恋人への未練がましい恋しい思いをポロっと呟く。そして長い浜辺のワンカットのパンで示される映像は、ヨンヒが元恋人に担がれるように連れ去られていく唐突で非現実的な映像で終わる。
後半は韓国に戻ったヨンヒが旧友たちと再会する。女友達を待っていたヨンヒは映画館で先輩の男友達に会い、女友達含めて4人で酒を飲む。酒飲みシーンが多いのはいつものホン・サンスの特徴。酒に酔いながら本音がぶつかり合う。この女優のヨンヒは酔いが回ると絡んで強い口調で突っかかっていく。かわいい顔していながらも気の強い口調で食ってかかる場面はこの映画の見どころ。かわいい女を求めるだけの男の狡さに詰め寄るのだ。さらに酔って女友達とキスしたりする。
翌日、浜辺でヨンヒが寝転がっていると、元恋人の監督の助監督がやってきて、次の映画のロケハンに来ていると告げる。そして監督もホテルにいるという。監督含めたスタッフと飲む場面があり、またしてもヨンヒは酔って絡む。不倫の男女のどうでもいい話なんだけど、なんだか人間臭さがリアルに描かれるのがホン・サンス節だ。愚かでバカでささやかで愛おしき人生なり。
この映画では、部屋の外のベランダにヘンな男がいるのに誰も何も言わなかったり、夢の話など非現実的な幻想が唐突に画面に現れる。人の心の複雑さを単調なカメラワークと会話劇のなかに描き出す。長回しのワンカットが多用されるため、演劇的な緊張感があり、現実と幻想の境目のなさが映画の見どころでもある。
2017年製作/101分/G/韓国
原題:On the Beach at Night Alone
配給:クレストインターナショナル
監督・脚本:ホン・サンス
撮影:キム・ヒョング パク・ホンニョル
編集:ハム・ソンウォン
キャスト:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、クォン・ヘヒョ、チョン・ジェヨン
☆☆☆☆4
(ヨ)
監督のと不倫スキャンダルによりソウルからハンブルグにやっててきた女優ヨンヒ(キム・ミニ)が女友達と会話するだけの前半。女友達の交友関係と知り合いながら、「ここに住もうかしら」などと話しつつ、元監督の彼が来るのを待っている。そして、夜の浜辺で元恋人への未練がましい恋しい思いをポロっと呟く。そして長い浜辺のワンカットのパンで示される映像は、ヨンヒが元恋人に担がれるように連れ去られていく唐突で非現実的な映像で終わる。
後半は韓国に戻ったヨンヒが旧友たちと再会する。女友達を待っていたヨンヒは映画館で先輩の男友達に会い、女友達含めて4人で酒を飲む。酒飲みシーンが多いのはいつものホン・サンスの特徴。酒に酔いながら本音がぶつかり合う。この女優のヨンヒは酔いが回ると絡んで強い口調で突っかかっていく。かわいい顔していながらも気の強い口調で食ってかかる場面はこの映画の見どころ。かわいい女を求めるだけの男の狡さに詰め寄るのだ。さらに酔って女友達とキスしたりする。
翌日、浜辺でヨンヒが寝転がっていると、元恋人の監督の助監督がやってきて、次の映画のロケハンに来ていると告げる。そして監督もホテルにいるという。監督含めたスタッフと飲む場面があり、またしてもヨンヒは酔って絡む。不倫の男女のどうでもいい話なんだけど、なんだか人間臭さがリアルに描かれるのがホン・サンス節だ。愚かでバカでささやかで愛おしき人生なり。
この映画では、部屋の外のベランダにヘンな男がいるのに誰も何も言わなかったり、夢の話など非現実的な幻想が唐突に画面に現れる。人の心の複雑さを単調なカメラワークと会話劇のなかに描き出す。長回しのワンカットが多用されるため、演劇的な緊張感があり、現実と幻想の境目のなさが映画の見どころでもある。
2017年製作/101分/G/韓国
原題:On the Beach at Night Alone
配給:クレストインターナショナル
監督・脚本:ホン・サンス
撮影:キム・ヒョング パク・ホンニョル
編集:ハム・ソンウォン
キャスト:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、クォン・ヘヒョ、チョン・ジェヨン
☆☆☆☆4
(ヨ)
「彼女が消えた浜辺」アスガー・ファルハディ
イランのアスガー・ファルハディ監督はいつも難問を登場人物たちに突きつける。第59回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した作品。「別離」、「ある過去の行方」、「セールスマン」。どれも夫婦や家族でトラブルがもち上がり、そのトラブルのために家族や夫婦が喧嘩し、揉めて、言い争う。それはいつも究極の問いのような難問なのだ。そんな人間たちの苦悩と混乱を厳しく見つめながら、冷静に描き出す監督だ。夫婦や家族、親族間の緊密な絆はイランならではの強さを感じる。
この映画はバカンスにやってきた数組の家族の物語。離婚したばかりの男友達に美しい女性エリを紹介しようと連れてきたのだが、誘った女性以外はほとんど彼女のことを知らない。予約のトラブルで浜辺の古い別荘に泊まることになるのだが、みんなでエリとその男性を冷やかしつつバカンスが始まる。しかし、翌日、子供の一人が海に入って遊んでいたとき、大人たちが見ていない一瞬のすきにその子供が溺れて波にさらわれてしまうのだ。最後に子供を「見ていてね」と言われたエリは、別の子供たちと凧を上げていて目を離していたのだ。必死になって大人たちみんなで海におぼれた子供を救出しているいちに、エリの姿が消えてしまう。子供は無事救出されたのだが、今度はエリがいない。子供を助けようとして海に溺れたのか、それとも1泊で帰りたがっていたエリは、みんなに別れも告げずに勝手に帰ってしまったのか?大人たちは見つからないエリをめぐって言い争いを始める。事件起こる直前の凧揚げのカットは、何度もエリのカットが積み重ねられる。その不自然さが、映画の転換点を映像で示している。
なぜ彼女を誘ったのか?そもそも彼女の本名は?彼女は勝手に帰るような女性なのか、彼女のことを何も知らないのだ。残されたバッグや携帯、そして昨夜の彼女とのやり取りをみんなで思い出しながら、それぞれが勝手な推理をしだす。海に溺れたのか、帰ったのか?遺体が上がらないまま、彼女の謎は深まっていく。電話していた相手は誰なのか?母親は旅に出ていることすら知らないらしい…とか彼女の存在そのものがあやふやになってくる。一人の人間の突然の不在をめぐって、存在の謎が浮かび上がり、家族間で言い争いがエスカレートしていくのだ。浜辺の別荘に泊まるかを決める時も、みんなでどういう態度をとるかを決める時も、ひとりひとり意見を聞いて多数決をするのが面白い。
映画は結局はストンと話のオチをつけるのだが、ひとりの人間の謎をめぐる混乱の物語として面白い。婚約者が来るので、みんなで口裏を合わせてみたり、本当と嘘、何を秘密にして、何を守るのか。死者の誇りを守るのか、自分たちの過ちを明らかにせずに守るのか。誰が悪いわけでもなのに、嘘をつかなくてはならなくなるシチュエーション、本当のことを伝える難しさ。現実というのはいつも難しい問いを私たちに突き付けてくるものだ。
2009年製作/116分/G/イラン
原題:About Elly
配給:ロングライド
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
撮影:ホセイン・ジャファリアン
キャスト:ゴルシフテ・ファラハニ、タラネ・アリシュスティ、シャハブ・ホセイニ
☆☆☆3
(キ)
この映画はバカンスにやってきた数組の家族の物語。離婚したばかりの男友達に美しい女性エリを紹介しようと連れてきたのだが、誘った女性以外はほとんど彼女のことを知らない。予約のトラブルで浜辺の古い別荘に泊まることになるのだが、みんなでエリとその男性を冷やかしつつバカンスが始まる。しかし、翌日、子供の一人が海に入って遊んでいたとき、大人たちが見ていない一瞬のすきにその子供が溺れて波にさらわれてしまうのだ。最後に子供を「見ていてね」と言われたエリは、別の子供たちと凧を上げていて目を離していたのだ。必死になって大人たちみんなで海におぼれた子供を救出しているいちに、エリの姿が消えてしまう。子供は無事救出されたのだが、今度はエリがいない。子供を助けようとして海に溺れたのか、それとも1泊で帰りたがっていたエリは、みんなに別れも告げずに勝手に帰ってしまったのか?大人たちは見つからないエリをめぐって言い争いを始める。事件起こる直前の凧揚げのカットは、何度もエリのカットが積み重ねられる。その不自然さが、映画の転換点を映像で示している。
なぜ彼女を誘ったのか?そもそも彼女の本名は?彼女は勝手に帰るような女性なのか、彼女のことを何も知らないのだ。残されたバッグや携帯、そして昨夜の彼女とのやり取りをみんなで思い出しながら、それぞれが勝手な推理をしだす。海に溺れたのか、帰ったのか?遺体が上がらないまま、彼女の謎は深まっていく。電話していた相手は誰なのか?母親は旅に出ていることすら知らないらしい…とか彼女の存在そのものがあやふやになってくる。一人の人間の突然の不在をめぐって、存在の謎が浮かび上がり、家族間で言い争いがエスカレートしていくのだ。浜辺の別荘に泊まるかを決める時も、みんなでどういう態度をとるかを決める時も、ひとりひとり意見を聞いて多数決をするのが面白い。
映画は結局はストンと話のオチをつけるのだが、ひとりの人間の謎をめぐる混乱の物語として面白い。婚約者が来るので、みんなで口裏を合わせてみたり、本当と嘘、何を秘密にして、何を守るのか。死者の誇りを守るのか、自分たちの過ちを明らかにせずに守るのか。誰が悪いわけでもなのに、嘘をつかなくてはならなくなるシチュエーション、本当のことを伝える難しさ。現実というのはいつも難しい問いを私たちに突き付けてくるものだ。
2009年製作/116分/G/イラン
原題:About Elly
配給:ロングライド
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
撮影:ホセイン・ジャファリアン
キャスト:ゴルシフテ・ファラハニ、タラネ・アリシュスティ、シャハブ・ホセイニ
☆☆☆3
(キ)