「宇宙人ポール」グレッグ・モットーラ

新年一発目の映画は「宇宙人ポール」。何も考えずに笑わせてもらいました。
サイモン・ペッグとニック・フロストが主演・脚本、「未知との遭遇」「E.T.」などSF映画へのオマージュ溢れる愛の映画。限りなく人間に近い陽気な宇宙人ポールとの珍道中。ゲイカップルに何度も間違えられるオタク青年のコンビが絶妙。コミックイベント、コミコンから始まり、ハイテンションで楽しむ二人が笑える。SF映画、オタク愛満載の映画だ。特にスピルバーグ愛が全開で声の出演まである。
もっと毒気に満ちたはちゃめちゃナンセンスな映画かと思っていたら、まったくもってオーソドックスなヒューマンな友情と愛の物語。ロードムービーの要素を取り入れつつ、キリスト教原理主義も皮肉りつつ、オタクで孤独な人々がポールとの関係において癒されていく。誰もが安心して観れる娯楽作だ。
グレッグ・モットーラ監督は、「スーパーバッド 童貞ウォーズ」で超くだらない痛快な映画を撮っている。こういうバカバカしい笑える映画が好きな監督なんですね。
原題:Paul
製作国:2011年アメリカ・フランス・イギリス合作映画
監督:グレッグ・モットーラ
脚本:ニック・フロスト、サイモン・ペッグ
撮影:ローレンス・シャー
美術:ジェファーソン・セイジ
音楽:デビッド・アーノルド
キャスト:サイモン・ペッグ、ニック・フロスト、ジェイソン・ベイトマン、クリステン・ウィグ、ビル・ヘイダー、ブライス・ダナー、ジョン・キャロル・リンチ、シガニー・ウィーバー、セス・ローゲン
☆☆☆3
(ウ)
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tag : SF
「ザ・ウォード 監禁病棟」ジョン・カーペンター

下着姿で森を走る金髪の美女・クリステン(アンバー・ハード)。片田舎の景色の中、逃げた女性を探すパトカー。そして古い農家に火をつける。燃え盛る家の前で金髪の女は立ちすくみ、警官たちに保護される。この冒頭のシーンはちょっとワクワクする。やっぱり下着姿の金髪女の錯乱めいた姿と田舎の風景がいいのだ。
「ハロウィン」「遊星からの物体X」でホラー、SFの金字塔を打ちたてた鬼才ジョン・カーペンター監督の10年ぶりとなる監督作だという。残念ながらホラー映画は得意ではないので、どれも見てない。この映画もどうしようかと思ったのだが、ちょっと評判が良かったのを聞いて最終日に駆け付けた。
ただ、やっぱりホラー映画は苦手だ。脅かしショットと大げさな効果音にビックリしてしまい、落ち着いて見られないのだ。映画は静かにいろんな想像しながらゆっくり鑑賞するのがいい。遊園地のお化け屋敷みたいな刺激はどうも苦手だ。
さて、映画は精神病院モノである。さまざまな精神病院を舞台にした映画を思い出す。「カッコーの巣の上で」「17歳のカルテ」、近年ではマーティン・スコセッシの「シャッター・アイランド」、最近観たイタリア映画の「人生、ここにあり!」もそうだった。ホラー、サスペンスから人間賛歌の喜劇まで、精神病院は恰好の映画の舞台だ。
精神病院の監禁病棟に運ばれてくるクリステン。この映画は、精神病院内の監禁病棟とそこに閉じ込められている女性たちの脱出をめぐる物語だ。そこから何度も何度も格闘しながら脱出を試みるヒロイン、クリステン。亡霊が次々と現れ、同じ監禁病棟にいる女性たちを殺害していく…。次に殺されるのは誰…?その亡霊の正体とは…?そんな風に物語は展開していくのだが、これ以上書いてしまうと、ネタバレでこれから観る方に申し訳ないので、控える。
美しい女性が監禁、拉致され、電気ショックや暴力をふるわれるのを見て楽しむ嗜好がある映画なのかなぁなどと、つまらぬことを考えてしまった。女性たちが、全員裸でシャワーを浴びるセクシーショットもありながら、われわれは「サイコ」のシャワーシーンを思い出しながら、何か不吉なことが起きるのを待ち構える。
僕が気に入ったのは、いきなり病棟の中でレコードをかけて、女の子たちが踊るシーンだ。不気味なシーンばかりの中にあって、エアポケットのような唐突さと女の子たちの踊り。映画の中で、クリステンが唯一、笑顔を見せるシーンだ。そして突然の雷と停電の闇と暴力。
エレベーターや脱出するときに使う換気口や荷物を運ぶ小さなエレベーターなどの箱に彼女たちは身体を押し込める。それはどこか胎内回帰を思わせる暗くて小さな空間だ。思えば、この監禁病棟そのものが、下界と隔絶された閉ざされた胎内なのかもしれない。つまりこれは胎内めぐりの脱出の旅ともいえるのだ。
原題:The Ward
製作国:2011年アメリカ映画
配給:ショウゲート
監督:ジョン・カーペンター
脚本:マイケル・ラスムッセン、ショーン・ラスムッセン
撮影:ヤーロン・オーバック
音楽:マーク・キリアン
キャスト:アンバー・ハード、メイミー・ガマー、ダニエル・パナベイカー、ローラ=リー、リンジー・フォンセカ、ミカ・ブーレム、ジャレッド・ハリス
☆☆☆3
(サ)
tag : ホラー
「ツリー・オブ・ライフ」 テレンス・マリック

実に大袈裟な映画である。暗黒の炎。天地創造。海から誕生する生命の起源。恐竜まで登場する生物の進化の歴史がCGで再現され、そしてある家族の物語が描かれる。
はっきり言って面白くない。宗教感を観念的に映像化したような作品。神への問いかけ。そして謙虚さを失った人間たちへの警告。ストレートなメッセージである。ただそれだけである。
旧約聖書のヨブ記38章の4節「わたしが大地を据えたとき おまえはどこにいたのか」と、7節「そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い 神の子らは皆、喜びの声をあげた」が引用される。母は神に問いかける。「生き方には二つある。世俗に生きるか、神に委ねるか。どちらかを選ばなくては」。
水のイメージが頻繁に登場する。生命誕生の海、クラゲや藻、光射す海。流れ落ちる勢いのある滝の水。静かな川。庭での芝にまかれる水。水に素足を濡らす母。子供が溺れ死ぬ水。聖水。天国に召される人々と海。生と死が深く関わっている水のイメージ。
父権性の暴力。権力や名誉や金。ブラッド・ピットもすっかりオヤジ臭い。そんな世俗にまみれた父親を演じ、ジェシカ・チャステイン演じる母は愛情深く、神に感謝し子供たちを愛している。水との戯れが、そんな母の神との親和性を象徴している。そして3人の息子達。長男のジャックが大人になって(ショーン・ペン)、大きなビルの一室で金と権力を手に入れ、成功しつつも空しさを覚える。父に反発しつつ、父と同じ道を歩んでしまった・・・。
「なぜ、あなたに背を向けたのか、道に迷い、あなたを忘れていた」。
ジャックが、性に興味を持ち、暴力に目覚めていくあたりはちょっとスリリング。車の下で修理する父を一瞬殺そうと思う息子。弟を苛め、あやまる場面など、自らの暴力衝動と葛藤が描かれている。男の子が持っている権力志向や競争意識、暴力性。その繰り返しの歴史。そして、父は仕事で失敗し、一家が引越しをする場面で終わる。
弟は命を奪われる(その理由は明らかにされないが)。「神は全てを与え、全てを奪う」。それでも神を信じ、神への問いを続ける。背を向けるのではなく、受け容れ、傲慢にならずに神を信じ、謙虚に生きること。まぁ、そんなキリスト教的世界観を示した単純なメッセージ映画である。
ちなみに「生命の樹(THE TREE OF LIFE)」とは、旧約聖書の「創世記」のエデンの園に登場するものとは違うものとして使われていると推測される。エデンの園では、知恵の樹と生命の樹があり、生命の樹はその実を食べれば永遠に生きられるとされるのに、人間は神に禁じられた知恵の樹の実を食べた。知恵の樹の実によって善悪を知るようになった人間は、生命の樹の実まで食べて、永遠に生きることのないよう神からエデンの園を追放されてしまう。
この映画では、そういう神が世界を造った・・・というキリスト教的世界観ではなく、宇宙のビッグバンと海の中の生物の誕生、恐竜の時代など生物の進化の歴史である進化論の説明映像が使われている。ツリー・オブ・ライフの生命の樹とは進化論的なツリーのことだ。つまり、進化論とキリスト教的世界の融合がこの映画ではなされているのだ。だから、キリスト教原理主義者からは、この映画は当然批判される。
生命の進化の歴史と神への信仰。そのすべてを受け入れつつ、そのツリーの連なりの一端である人間(自分)という存在。その頂点にはやはり神の存在があり、世俗的にならずにその連なりを意識することで謙虚に生きることが出来るという映画だ。
製作年 2011年
製作国 米
原題 THE TREE OF LIFE
監督: テレンス・マリック
脚本: テレンス・マリック
撮影: エマニュエル・ルベツキ
音楽: アレクサンドル・デプラ
キャスト: ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン
☆☆☆3
(ツ)
tag : 家族
「ブラック・スワン」ダーレン・アロノフスキー

話題作で評判もいいみたいだが、僕にはどうも馴染めない、好きになれない作品だった。
なんでこんなに大袈裟に描かなければいけないのか?まるで遊園地のお化け屋敷である。大袈裟な音楽と驚かせる効果音に辟易させられた。観ていてただただ疲れてしまった。
バレエのステージに立つためのプレッシャーと混乱、自己抑制と崩壊、母との葛藤、女王をめぐるライバル競争、善なるものと悪魔的なもの、性的な葛藤などなど、同じテーマをもっと違う描き方もできたはずである。それをまるでスリラー映画のように仰々しく、わざとらしく、強制的な感情を観るものに強いるのだ。とてもこちらから映画に入り込めない。次から次へと刺激を提示する。
たしかにナタリー・ポートマンは、壊れそうな神経過敏さで痛々しいほどにこのバレリーナ・ニナを熱演していて見応えはある。冒頭の彼女の後姿を追い続けるカメラ。地下鉄の窓に写る自分の姿、楽屋の割れる鏡。いつも何か不穏なことが起きそうだ。そして、去っていく女王のべス(ウィノナ・ライダー)の不気味さと哀しさ、背中に刺青をしている奔放な悪女リリー(ミラ・クニス)とニナとの葛藤など、観るべきシーンは多い。
それでも、アメリカ映画の悪しき刺激過多、サービスの過剰さがもう観ていてうんざりした。
これは趣味の問題なのかもしれないが、僕には映画的な豊かさがまるで感じられない映画でした。
原題:Black Swan
製作国:2010年アメリカ映画
配給:20世紀フォックス映画
監督:ダーレン・アロノフスキー
原案:アンドレス・ハインツ
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクローリン
撮影:マシュー・リバティーク
音楽:クリント・マンセル
キャスト: ナタリー・ポートマン、バンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー
☆☆☆3
(フ)
tag : 人生
「ブルーバレンタイン」デレク・シアンフランス

予告編「ブルーバレンタイン」
この予告編観て、この映画観ようと思ったのですが、やっぱりこのシーンがいいんです。こんな風に口説かれたら女性もたまらないよなぁ~。でも愛にはこういう奇跡的な瞬間が生まれるもんです。
今年観た映画では『SOMEWHERE』の予告編の出来もよくて、それも予告編を観て「映画を観なくちゃ」と思ったものです。予告編は、映像の力と編集のセンスと音楽の良さに尽きます。もちろん、音楽ナシのものでも優れた予告編はあるけれど。
さて、この映画の愛の恍惚と残酷な瞬間を二重に捉えているせつない映画です。僕はこういう愛の官能と壊れるような映画がなんだか好きなんです。刹那的な愛とその破滅。『ベティーブルー』とか『パリ・テキサス』とか『シーズ・ソー・ラブリー』『ポンヌフの恋人』『髪結いの亭主』『バッファロー'66』とか。
ジョン・カサヴェテスのような感情をまるごと切り取ろうとするような過去のアップの手持ちカメラの映像。カメラは状況を伝えようとするのではなく、ミシェル・ウィリアムズやライアン・ゴズリングのむき出しの心を捉えようとする。詳しい説明はなく乱暴に現在と過去が往復し、やがてそれが重なり合う。まぎれもないこの二人であることが。その痛々しいまでの現在が。
壊れゆく現在の愛と至福で恍惚な瞬間である生まれたての愛。残酷な時間は、そんな愛のそれぞれの瞬間をあぶりだす。
「もし君を傷つけることがあったとしても、それは、君を愛しているから・・・」
英題: BLUE VALENTINE
製作年: 2010年
製作国: アメリカ
日本公開: 2011年4月23日
上映時間: 1時間52分
配給: クロックワークス
監督・脚本:デレク・シアンフランス
脚本:ジョーイ・カーティス、カミ・デラビーン
キャスト: ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ、フェイス・ウラディカ
☆☆☆☆4
(フ)
tag : 愛