ドラマ「俺の家の話」最終回が見事だった!不在の「空」的存在
宮藤官九郎脚本「俺の家の話」の最終回、遅ればせながらやっと観ました。久々に予定調和に終わらない宮藤官九郎の力技に感服いたしました。さすがであります。
遺産相続狙いの結婚詐欺話でも、老人認知症介護の家族の再生の物語でとどまることなく、能とプロレス、仮面(「能のお面のように自分がない」こと)、生と死の交わる空間、能舞台、プロレスのリング、墓の前、家族の食卓の特権的空間の演出、そして生と死の境界を越えて不在の死者が家族をつなぐ物語としてアクロバティックに展開した最終回は本当にお見事でした。
寿一は「自分がない」男であり、「空」の存在。誰でもないからこそ、誰にでもなれる。だから、能の面をかぶり、プロレスの覆面をかぶり、バラバラになった家族をつなぐ。生と死が出入り自由となる特権的空間を見事に創出したドラマは、演劇出身である宮藤官九郎ならではだろう。演劇の舞台こそ、生と死が出入り自由の空間であり、まさに能舞台とはその特権的空間を創出し続けている伝統芸能である。その「場」にこだわり、不在を私を通して、異端な人々が集える場が必要され描いた。発達障害的な学校不適応児童から、ラッパー、ダンサー、プロレスラー、落ちぶれた伝統芸能者、不倫しまくりのろくでなしの父親、血のつながらない兄弟たち。ひねくれ娘やモテない弁護士、そんな異端者たち、社会不適応者たちが集える場こそ、今必要であり、演劇的舞台空間として描かれたこのドラマの「家の話」であった。
1月クールのドラマでは、北川悦吏子の「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」も楽しめた。浜辺美波と菅野美穂の偽の母子の会話のテンポが面白かった。今どきの友達みたいな親子の会話、物語はその親子関係をめぐる展開だったが、これもまた象のマークが見える「ホッとできる家」=マンションの部屋が特権的「場」として表現され、古き良きたい焼き屋のお店もまた、人々がホッと集える「場」として機能していた。
岡田恵和の「にじいろカルテ」は、傷ついた善人ばかり登場するファンタジー的ユートピア村の話だった。コロナ禍でもう暴力や人間の嫌な場面は見たくないという癒しを求める時代の要請のようなドラマだった。やや気持ち悪いぐらいのみんなで助け合う善人ぶりが、非現実でありながらホッとできるコミュニティとして求められたのだろう。
遺産相続狙いの結婚詐欺話でも、老人認知症介護の家族の再生の物語でとどまることなく、能とプロレス、仮面(「能のお面のように自分がない」こと)、生と死の交わる空間、能舞台、プロレスのリング、墓の前、家族の食卓の特権的空間の演出、そして生と死の境界を越えて不在の死者が家族をつなぐ物語としてアクロバティックに展開した最終回は本当にお見事でした。
寿一は「自分がない」男であり、「空」の存在。誰でもないからこそ、誰にでもなれる。だから、能の面をかぶり、プロレスの覆面をかぶり、バラバラになった家族をつなぐ。生と死が出入り自由となる特権的空間を見事に創出したドラマは、演劇出身である宮藤官九郎ならではだろう。演劇の舞台こそ、生と死が出入り自由の空間であり、まさに能舞台とはその特権的空間を創出し続けている伝統芸能である。その「場」にこだわり、不在を私を通して、異端な人々が集える場が必要され描いた。発達障害的な学校不適応児童から、ラッパー、ダンサー、プロレスラー、落ちぶれた伝統芸能者、不倫しまくりのろくでなしの父親、血のつながらない兄弟たち。ひねくれ娘やモテない弁護士、そんな異端者たち、社会不適応者たちが集える場こそ、今必要であり、演劇的舞台空間として描かれたこのドラマの「家の話」であった。
1月クールのドラマでは、北川悦吏子の「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」も楽しめた。浜辺美波と菅野美穂の偽の母子の会話のテンポが面白かった。今どきの友達みたいな親子の会話、物語はその親子関係をめぐる展開だったが、これもまた象のマークが見える「ホッとできる家」=マンションの部屋が特権的「場」として表現され、古き良きたい焼き屋のお店もまた、人々がホッと集える「場」として機能していた。
岡田恵和の「にじいろカルテ」は、傷ついた善人ばかり登場するファンタジー的ユートピア村の話だった。コロナ禍でもう暴力や人間の嫌な場面は見たくないという癒しを求める時代の要請のようなドラマだった。やや気持ち悪いぐらいのみんなで助け合う善人ぶりが、非現実でありながらホッとできるコミュニティとして求められたのだろう。
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「7日間ブックカバーチャレンジ」7日目 ますむらひろし「アタゴオル玉手箱」
「7日間ブックカバーチャレンジ」のラストの7日目。 最後に何の本にしようかと迷った。Facebookでは、北海道の地方創生を考えるうえでヒントになる1冊、藻谷浩介氏の『里山資本主義』にした。アフターコロナに向けて、密な東京一極集中から地方への分散、移住が増えるチャンスでもあり、「つながり」による地域活性化に北海道の未来の可能性を思って。地域の豊かさに目を向けないと、日本の未来はない。食とエネルギーの地産地消の循環型社会へ。グローバリズムの新自由主義マネー競争から転換しなければいけないと思うので。
しかし、こちらでは自分の読書史を振り返るうえで欠かせない漫画から1冊、ますむらひろしの『アタゴオル玉手箱』を挙げておく。私の漫画史といえば、小学校の頃は誰もが熱狂したように少年マガジンの「あしたのジョー」世代であり、力石徹と矢吹丈の真っ白になる戦いに心躍らせ、テレビアニメも夢中になって見た。
それから高校、学生時代になると、兄の影響もあり『ガロ』世代の漫画に夢中になった。白土三平の「忍者武芸帳」「カムイ伝」、つげ義春「ねじ式」ほか多数を読みまくり、林静一も大好きでした。つげ忠男、鈴木翁二、近藤よう子、高野文子、森雅之、やまだ紫、湊谷夢吉、川崎ゆきお、花輪和一などもよく読みました。蛭子能収、渡辺和博、みうらじゅん、根本敬などのヘタウマ的な漫画が出てきたのもその頃ですね。あと村上春樹の挿絵などをやった安西水丸の漫画も好きです。あと谷口ジローも忘れちゃいけませんね。山本直樹もかな。
そんななかでも、ますむらひろしの「アタゴオルもの」は特に惹かれ、そのファンタジー的ユートピアの森、キャラクターのヒデヨシ猫たちの世界が好きでした。このブログの「ヒデヨシ日記」の名も、そのヒデヨシから来てるんです。お気楽で酢ダコに目がなくて、バカで愉快なキャラクターのヒデヨシ猫に憧れているんです。宮沢賢治的な自然の森、鉱石などの美しき宇宙で遊ぶ彼らが羨ましかったのかもしれません。ますむらひろしが描く絵が何より好きなんですね。

ブックカバーチャレンジ、あらためて7冊に絞り込むのはなかなか大変でした。ただ、自分の読んできた本を考えるいい機会になり楽しかったです。みなさまもいかがですか。本を読むことは、やはりとても贅沢な時間です。
しかし、こちらでは自分の読書史を振り返るうえで欠かせない漫画から1冊、ますむらひろしの『アタゴオル玉手箱』を挙げておく。私の漫画史といえば、小学校の頃は誰もが熱狂したように少年マガジンの「あしたのジョー」世代であり、力石徹と矢吹丈の真っ白になる戦いに心躍らせ、テレビアニメも夢中になって見た。
それから高校、学生時代になると、兄の影響もあり『ガロ』世代の漫画に夢中になった。白土三平の「忍者武芸帳」「カムイ伝」、つげ義春「ねじ式」ほか多数を読みまくり、林静一も大好きでした。つげ忠男、鈴木翁二、近藤よう子、高野文子、森雅之、やまだ紫、湊谷夢吉、川崎ゆきお、花輪和一などもよく読みました。蛭子能収、渡辺和博、みうらじゅん、根本敬などのヘタウマ的な漫画が出てきたのもその頃ですね。あと村上春樹の挿絵などをやった安西水丸の漫画も好きです。あと谷口ジローも忘れちゃいけませんね。山本直樹もかな。
そんななかでも、ますむらひろしの「アタゴオルもの」は特に惹かれ、そのファンタジー的ユートピアの森、キャラクターのヒデヨシ猫たちの世界が好きでした。このブログの「ヒデヨシ日記」の名も、そのヒデヨシから来てるんです。お気楽で酢ダコに目がなくて、バカで愉快なキャラクターのヒデヨシ猫に憧れているんです。宮沢賢治的な自然の森、鉱石などの美しき宇宙で遊ぶ彼らが羨ましかったのかもしれません。ますむらひろしが描く絵が何より好きなんですね。

ブックカバーチャレンジ、あらためて7冊に絞り込むのはなかなか大変でした。ただ、自分の読んできた本を考えるいい機会になり楽しかったです。みなさまもいかがですか。本を読むことは、やはりとても贅沢な時間です。
「7日間ブックカバーチャレンジ」6日目 内田樹「呪いの時代」
「7日間ブックカバーチャレンジ」の6日目。7日間7冊の本の紹介です。
内田樹は共感する部分が多くて、いっぱい読んでいます。「日本辺境論」「寝ながら学べる構造主義」「街場のメディア論」など著作多数。知の領域を縦横無尽に駆け巡る。ほとんどいつも同じようなことを語っていますが、示唆に富む刺激がいつもあります。「ほんとうの自分」を追い求める幻想。ネットに溢れる「呪い」の言葉。それは自分に返ってくる。「呪い」による分断の時代から「贈与」によるつながりの時代へ。
ちなみに本日の北海道新聞で、内田樹氏が「日本人は最悪の事態を想定できない」と書いていた。危機管理が苦手なのだ。「最悪の事態」を想定して、どの場合にどうやって被害を最小化するかという議論を始めると「縁起でもないことをするな」と遮られる・・・。「悲観論は語るな」というのだ。「言霊」を信じているから、「最悪の事態」を語ること自体がタブーとなる。だから、「オリンピックなんて出来るわけない」と誰もが思っていても、誰も口にしない。「出来ない」と言おうものなら、「本当に出来なくなる」と思うから、ギリギリまで誰も何も言わない。その同調性と言葉の呪縛。オリンピックもリニアモーターカーも万博もカジノも、語ることで経済が成長するという夢を招き寄せているのだ。戦争中も負けることを誰も語らなかったように、語らないことで信憑となり、現実を見誤る。
だから、日本人はそういう属性があるということを勘定に入れて振る舞うしかないのだ。いい悪いではなく、日本人は「最悪の事態」を語りたがらないのだ、と。原発もしかりだった。問題は起きないと、誰も最悪の事態を想定して準備しなかった。最悪の事態を言ったら、「縁起でもない」と一蹴されるだけ。そういう民族なのだと。だからこそ、意識的に語る必要があるのだ。言葉の「呪力」は、日本人にはかなり強く働くということかもしれない。
#7日間ブックカバーチャレンジ

内田樹は共感する部分が多くて、いっぱい読んでいます。「日本辺境論」「寝ながら学べる構造主義」「街場のメディア論」など著作多数。知の領域を縦横無尽に駆け巡る。ほとんどいつも同じようなことを語っていますが、示唆に富む刺激がいつもあります。「ほんとうの自分」を追い求める幻想。ネットに溢れる「呪い」の言葉。それは自分に返ってくる。「呪い」による分断の時代から「贈与」によるつながりの時代へ。
ちなみに本日の北海道新聞で、内田樹氏が「日本人は最悪の事態を想定できない」と書いていた。危機管理が苦手なのだ。「最悪の事態」を想定して、どの場合にどうやって被害を最小化するかという議論を始めると「縁起でもないことをするな」と遮られる・・・。「悲観論は語るな」というのだ。「言霊」を信じているから、「最悪の事態」を語ること自体がタブーとなる。だから、「オリンピックなんて出来るわけない」と誰もが思っていても、誰も口にしない。「出来ない」と言おうものなら、「本当に出来なくなる」と思うから、ギリギリまで誰も何も言わない。その同調性と言葉の呪縛。オリンピックもリニアモーターカーも万博もカジノも、語ることで経済が成長するという夢を招き寄せているのだ。戦争中も負けることを誰も語らなかったように、語らないことで信憑となり、現実を見誤る。
だから、日本人はそういう属性があるということを勘定に入れて振る舞うしかないのだ。いい悪いではなく、日本人は「最悪の事態」を語りたがらないのだ、と。原発もしかりだった。問題は起きないと、誰も最悪の事態を想定して準備しなかった。最悪の事態を言ったら、「縁起でもない」と一蹴されるだけ。そういう民族なのだと。だからこそ、意識的に語る必要があるのだ。言葉の「呪力」は、日本人にはかなり強く働くということかもしれない。
#7日間ブックカバーチャレンジ

「7日間ブックカバーチャレンジ」5日目 川上弘美「溺レる」
「7日間ブックカバーチャレンジ」の5日目。7日間7冊の本の紹介です。
川上弘美は大好きなんです。女性の小説が結構好きで、川上弘美を筆頭に、絲山秋子、小川洋子、江國香織、三浦しをん、梨木香歩、角田光代、吉本ばなな、桐野夏生、田口ランディ、宮部みゆき、柴崎友香、原田マハ、西加奈子、村田 沙耶香・・・などなど。
特に川上弘美の初期の異形なるものが出てくるヘンテコな小説が好きなんです。現実と幻想の境目があやふやになる感じがなんともいいんです。どの小説も好きで、どれを選んでもいいのですが、初期の短編集から。
出だしの文章から引き込まれていくのです。
「うまい蝦蛄を食いに行きましょうとメザキさんに言われて、ついていった」(さやさや)。
「死んでからもうずいぶんになる」(百年)
「少し前から、逃げている。一人で逃げているのではない、二人して、逃げている。」(溺レる)。
アイヨクに溺れたいアナタ。幻想の彼方へ、いざ・・・。
#7日間ブックカバーチャレンジ

川上弘美は大好きなんです。女性の小説が結構好きで、川上弘美を筆頭に、絲山秋子、小川洋子、江國香織、三浦しをん、梨木香歩、角田光代、吉本ばなな、桐野夏生、田口ランディ、宮部みゆき、柴崎友香、原田マハ、西加奈子、村田 沙耶香・・・などなど。
特に川上弘美の初期の異形なるものが出てくるヘンテコな小説が好きなんです。現実と幻想の境目があやふやになる感じがなんともいいんです。どの小説も好きで、どれを選んでもいいのですが、初期の短編集から。
出だしの文章から引き込まれていくのです。
「うまい蝦蛄を食いに行きましょうとメザキさんに言われて、ついていった」(さやさや)。
「死んでからもうずいぶんになる」(百年)
「少し前から、逃げている。一人で逃げているのではない、二人して、逃げている。」(溺レる)。
アイヨクに溺れたいアナタ。幻想の彼方へ、いざ・・・。
#7日間ブックカバーチャレンジ
