「家守綺譚」 梨木香歩

黒い小さな虫が腕の辺りを歩いていて肘の近くで止まった。そのままそこに馴染んだ、と思ったらほくろになってしまった。こすってもとれない。しかしさっきまでは確かに虫だった。私の肘の小さなほくろなど、誰も気づきはしまいが不思議なことである。些細なことであるから、まあいいだろうと鷹揚に構えていたが、どれくらいの不思議まで人はそういって許せるものなのか、ふと気になった。
が、まあ、いいだろう。目に映ることは記録しておくまでだ。
「家守綺譚」梨木香歩(新潮文庫)を読む。上の文章はその一節だ。不思議なこともなんとなく受けいれてしまうそのとぼけた可笑しさがこの本の魅力だ。
サルスベリの木に惚れられたり、冥界の使者である犬のゴローは河童を助け、死んだ友人・高堂は掛け軸の絵の中から雨に乗じて現われ、とにかく不思議で奇天烈。小鬼や人を化かす狸、鮎の人魚など、植物や動物、幽霊、犬好きの隣のおばさんや碁を打つ和尚、妖しげな長虫屋など近所の住人も含めて、すべての存在があやふやで妖しい。死んだ友人の実家の家守りをしている物書きである主人公は、その不思議なことに戸惑いながらも暢気に楽しんでいる風でもある。大袈裟に驚いたり、焦ったりしない。鷹揚に構え、すべてを受けいれるそのとぼけたところがなんとも可笑しい。
そして、この存在のあやふやさは、「死の世界」と結びついている。冥界と現世との行き来。死んだ友がいる湖底の世界に夢の中で行き、勧められる禁断の果実・葡萄。甘美な死の世界の誘惑に「私の精神を養わない」と抗いつつ、かといってそれを否定するのではなく、ゆるやかに認めて受けいれてしまうおおらかさ。
自然の不思議や死の世界とともに人間があった時代を懐かしく思い出させてくれる愉快な文章だ。
(い)
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