「シルビアのいる街で」ホセ・ルイス・ゲリン

とても風変わりな映画である。誰にでもおススメできる映画ではない。物語を期待する人には、とことん裏切られる。そう、ここには何も物語は語られない。男が過去に出会った女の影を求めて彷徨うだけだ。ストーカー的な追跡劇。男の見つめる視線と見つめられる女の顔、顔、顔。カフェのガラス越しの顔、路面電車越しにフィルムのコマ落としのように映る女の姿。そう、これは映画的感性に満ちた映像と音のドラマなのだ。
「シルビアのいる街で」は音が過剰な映画だ。そして街角に配置されたエキストラたちの日常的な身振り。リアルな現実の街でありながら、巧みに作られたイメージ。男の視線となって現われるシルビアの妄想は、やがて街そのものがシルビア=イメージとなる。不思議な映画です。
フランスの古都ストラスブールは、縁があって、たまたま去年の冬に訪れた。古い街並みと路面電車の静かな街。フランスとドイツの文化が混ざりあった古都。映画の中で教会の鐘が鳴り響くが、まさにあのままだ。映画を観ながら、ストラスブールの街の中を、彼とともに歩きまわっている感じがした。迷路のような路地を。石畳を歩く足音、声、街で聴こえてくる音楽、さまざまな喧騒。自転車が通り、おばさんが歩き、花売りのビッコの男、ライターやベルトを売る男、タバコをもらおうとする女、サッカーボールを蹴る子供、路上で座り込むおばさんが瓶を転がす。ゴロゴロと転がる瓶の音。路地がいつまでも長いカットで写される。女が歩き、男が追いかける。
シルビアを追いかける青年の視線の映画であるけれど、描こうとしているのは街そのもののようだ。写されるのは街角の路地。そこに生きている人々、顔。さまざまな音。そう、これはエキストラたちを歩かせ、カフェで会話をさせ、停留所に立たせ、巧みに計算されつくした嘘のようなリアルな街の姿なのだ。リアルだけれど、イメージの世界。現実はイメージとなる。
青年はカフェで女のさまざまな顔を描く。カフェで会話をしているさまざまな女性たちの表情をカメラはとらえ続ける。彼の視線として。絵を描くことはイメージだ。そしてシルビアもまたイメージだ。6年前に彼が会ったという女のイメージは、街のさまざまな場所で立ち現われてくるようだ。路面電車の停留所のさまざまな人々。女性のポスター。彼が見つめ続ける視線。ラスト、路面電車に窓に浮かび上がる女性の顔は、シルビアなのか。追いかけたあの女性なのか。そもそもシルビアなどという女性は存在するのか。
尾行するストーカー的追跡劇で、彼が彼女のすぐ後ろを歩いているのをカメラは前からワンカットで捉えるシーンはドキドキした。見る者と見られる者を交互にカットバックさせながら距離の視線を描いてきた映像が、あの場面は一つの画面に二人が緊密に収まる。その距離感が見る者に緊張を強いる。
風に女の髪がなびく美しいシーンがある。その美しき映画的瞬間にハッとする。

映画とは視線なのだ。その視線が切り取るフレーム。そしてそのフレームの中を人が出たり入ったりしながら、音が通り過ぎる。音がそのフレームの世界をより際立たせる。そこに映画的緊張と至福の美しさが一瞬立ち現われる。その瞬間こそ、映画的な魅力なのだ。
とは言っても、もうちょっと物語があってもいいよなぁ~。
原題:Dans La Ville De Sylvia
監督・脚本:ホセ・ルイス・ゲリン
製作総指揮:ルイス・ミニャーロ、ガエル・ジョーンズ
撮影:ナターシャ・ブレイア
美術:マイテ・サンチェス
編集:ヌリア・エスケーラ
キャスト:グザビエ・ラフィット、ピラール・ロペス・デ・アジャラ、ターニア・ツィシー
製作国:2007年スペイン・フランス合作映画
☆☆☆☆4
(シ)
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