「ぶどうのなみだ」
北海道の空と緑と大地の映画だ。青という名の大泉洋演じる主人公は、クラシック音楽の指揮者になるも突発性難聴を患って故郷に戻って突然ワインを作り出した。そのワイン用ブドウ栽培に夢中になっているところへ、フラリと旅人がやってくる。キャンピングカーでブドウ畑の隣で突然、穴を掘り出すのだ。
この設定がやや無理がある。まず他人の土地で入り込んで勝手に穴を掘ることについて。最初は「勝手にあの女、何しやがるんだ」と怒り出した青(大泉洋)だが、警官(田口トモロヲ)も郵便屋も弟(染谷将太)も、エリカ(安藤裕子)のお酒と食事の提供に丸め込まれ、結局、その行為を許してしまう。美味しいお酒と美味しい食事、そして美しいぶどう畑が広がる北海道の風景があれば、誰もが何でも許してしまうということか。まぁ、この映画は一種の寓話である。目くじら立てて、リアリティがないと批判しても意味がない。そもそも警官の服装も郵便屋の服装も、現実的ではなくメルヘンチックではないか。
この映画の一番の見どころは、ワインが美味しいそうなことと、畑でみんなで食べる料理が美味しいそうなところだ。あぁ、こういう風に自然を感じながら、あるいは空や風や畑の緑や木々や大地を感じながら、食することはなんて素敵なんだろうとと思うのだ。その贅沢さ、人生の豊かさに我々はほっとする。
だからエリカ(安藤裕子)の穴堀りが、アンモナイトを見つけるためだったというこれもまた強引な物語の展開に唖然とするのだが、まぁ寓話なんだからいいのか?と思ってしまう。何億年も土の中で眠るアンモナイトは確かに物語的であり、使いたくなる素材なのだけれど、ここでの展開はやはり無理があるように思う。アンモナイトはやっぱり河原や地層が見えるような崖で石を探すのが基本だろうと思うのだ。畑の真ん中で数メートルも穴を掘るなんてことを実際にするであろうか?そういうこと(アンモナイトの発掘作業)があるのだとしたら、私の不勉強である。失礼。
そんな突拍子もない強引な展開も気にならなくなるくらい、自然の空と大地とブドウ畑が美しい。そして音楽までつけ加えられて、楽しそうに行進するわけだけれど、もうこうなるとほとんどメルヘンの世界だ。空からの雨のしずくとぶどうの涙。その自然のめぐみをただただ受取ろうという映画なのだ。
☆☆☆3
(フ)
この設定がやや無理がある。まず他人の土地で入り込んで勝手に穴を掘ることについて。最初は「勝手にあの女、何しやがるんだ」と怒り出した青(大泉洋)だが、警官(田口トモロヲ)も郵便屋も弟(染谷将太)も、エリカ(安藤裕子)のお酒と食事の提供に丸め込まれ、結局、その行為を許してしまう。美味しいお酒と美味しい食事、そして美しいぶどう畑が広がる北海道の風景があれば、誰もが何でも許してしまうということか。まぁ、この映画は一種の寓話である。目くじら立てて、リアリティがないと批判しても意味がない。そもそも警官の服装も郵便屋の服装も、現実的ではなくメルヘンチックではないか。
この映画の一番の見どころは、ワインが美味しいそうなことと、畑でみんなで食べる料理が美味しいそうなところだ。あぁ、こういう風に自然を感じながら、あるいは空や風や畑の緑や木々や大地を感じながら、食することはなんて素敵なんだろうとと思うのだ。その贅沢さ、人生の豊かさに我々はほっとする。
だからエリカ(安藤裕子)の穴堀りが、アンモナイトを見つけるためだったというこれもまた強引な物語の展開に唖然とするのだが、まぁ寓話なんだからいいのか?と思ってしまう。何億年も土の中で眠るアンモナイトは確かに物語的であり、使いたくなる素材なのだけれど、ここでの展開はやはり無理があるように思う。アンモナイトはやっぱり河原や地層が見えるような崖で石を探すのが基本だろうと思うのだ。畑の真ん中で数メートルも穴を掘るなんてことを実際にするであろうか?そういうこと(アンモナイトの発掘作業)があるのだとしたら、私の不勉強である。失礼。
そんな突拍子もない強引な展開も気にならなくなるくらい、自然の空と大地とブドウ畑が美しい。そして音楽までつけ加えられて、楽しそうに行進するわけだけれど、もうこうなるとほとんどメルヘンの世界だ。空からの雨のしずくとぶどうの涙。その自然のめぐみをただただ受取ろうという映画なのだ。
☆☆☆3
(フ)
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