「大不況には本を読む」橋本治(河出文庫)

変な本である。「不景気な時には本が売れる」と言われていた時代がある。今はすっかり本が売れなくなってしまったが、不景気でも本は売れていたという。「金儲け」の経済の世界と「人のあり方」を考える本の世界。水と油のような関係の両者だが、経済的にも行き詰まりを迎え新たな時代に突入している今こそ、未来を考えるための「本」の価値を説く。「人のあり方」を考え続けていた文学者でもある著者が、自分の言葉と頭でわかりやすく経済の話をしているところが面白い。それがとてもわかりやすいのだ。2009年出版の本書だが、未来について考えるキッカケにもなる。
橋本治によると、「日本人は猿真似能力」に優れており、ヨーロッパで始まった産業革命をひたすら真似して、明治以来の近代化=工業化の道を突き進み、先進国の仲間入りを奇蹟的に果たした。その中心的役割を果たしたのは、江戸時代の「町人」の流れをくむ商人=ビジネスマンだった。ヨーロッパは「市民革命」が起きて近代が実現したが、それは市民が王権と対立していたからだ。一方、日本では支配階級である武家社会は、農民から年貢は取りたてたが、町人は野放しだった。支配者と対立する農民たちによる「農民一揆」は起きても、町民は支配階級である武士たちと直接的な関係を持たなかった。だから、「町人一揆」は起きず、政治への参加意識も醸成されなかった。「君臨させておいて統治はされない」という町民と支配階級の関係が、いまの日本人にも受け継がれていると橋本は書く。「政治には関心がない」が日本人の基本的なあり方の大勢を占める。儲かり、景気が良くなればいいのだ。政治はそこそこうまいことやっておいてくれれば。しかし、政治意識の低い町民系日本人は、権力をチェックできない。だから、時々政治が暴走し、軍国主義に傾斜したり、余った金を使って公共投資の無駄遣いをしたりする。この政治の二つの暴走は、いずれも外国との関係において生じた問題だ。政治が「国外」と関わりを持たない間の日本は、たいした問題は起きない。「外国のことなんか知らないよ。こっちは真面目にせっせと仕事をして、輸出商売で稼ぐだけだ」と1985年ぐらいまでは、日本は平穏だった。「バブルがはじけた」になっても、「外国との境の扉」を開きっ放しで、ずっと海の向こうの様子をうかがって、「消費の拡大、個人消費を盛んに」の一辺倒で、せっせと輸出をして、今は地球規模の経済危機に巻き込まれつつある。
産業革命以来の「ものづくり」は、外に向かって「我々の作ったものを買え!もっと輸入しろ!」と自由貿易主義に向かう。輸出が多ければ、輸入を増やし、経済をグルグル回し、経済の拡大と、世界の富の均質化を目指す。しかし、そんな自由貿易主義はもう限界に来て破綻をしてしまった。いらないものまで買わなければいけない経済はもう飽和状態だ。ありもしない金融操作でバブルを作り出すしかなくなった。
今必要なことが「国内需要」であるなら、それは「輸入の促進によって国内需要を高める」ではなくて、「国内需要の調整を図って安定させる」必要があるのではないか。自由貿易が「善」で、保護主義が「悪」なのは、どこまでも経済が拡大していくという前提においてのみなのだ。「ものづくり」によって明治以来「西洋化」の道を進み、世界の頂点に立ってしまった日本だからこそ、自由貿易一辺倒のアクセルを踏み続けるのではなく、「保護主義的色彩」のブレーキで「国内秩序の収まり」を考え、「自分達のあり方」に目を向けるべきだという。今まで「面倒なことは他人任せ」で、ひたすら商売に励んできた、ただそれだけの、町民系の日本人。今こそ、「本」を読んで、未来の「自分たちのあり方」を考えるべきなのだ。
「思想性ゼロ」の国、日本は、「和漢洋才」から「和魂洋才」へと変化しつつ、「なんでもあり」で突き進んできた。しかし、近代化がある程度達成されると、「西洋がなんぼのもんじゃい」と思うようになり、和魂=大和魂は、日本を戦争に突入させた。そして、行くところまで行ってしまって戦争に負けた日本は、今度は「洋魂洋才」「米魂米才」で経済発展の道を突き進んだ。「思想性ゼロ」の日本は、「中途半端な思想性なんかない方がいい」のかもしれない。「ロクでもない思想性なんかない方がいい」ということが、もしかしたら日本人が誇る最大の思想性で、「己を無にしろ」という考えが古くから通用する不思議な国なのだ。
世界は豊かさを求めて、発展拡大をして来たが、「ある程度の豊かさ」が達成されても、さらなる豊かさを求め続ける。近代化=工業化は、「後進国」に下請させて、「下請けまかせのお金持ち」になっていく。産業革命によって成し遂げられた、大量生産、大量消費は、それまでの広大な土地で農業を営んできた豊かさへの哀しい復讐、「心の傷」なのかもしれないと橋本治はユニークな視点を示す。「農業」には限界があるが、「工業」は「永遠の発展」を捨てられない。農村から土地を受け継げずに都市へと流れてきた商人は、産業革命とともに「豊かな収量を実現する農地」なんかよりずっと狭い土地で、富と収益を手に入れた。「金融業者」と組んで、新しい時代を切り開いてきた。その都市生活者や近代工業の抱えるトラウマこそが、「豊かさの発展拡大は永遠に続く――続いてもらわなければ困る」という、変な前提を捨てられないのだと橋本治は分析するのだ。
そんな近代の行き詰まり、地球環境の限界の中で、「本」を読んで、「過去」を振り返り、「何も書かれていない行間」から一人一人が何かを読み取り、「未来に備える経験値」を蓄積すべきだと書いている。つまり日本人が長い間忘れていた「自分の頭で考える」ことをするのだ、と。
スポンサーサイト