「FOUJITA」小栗康平

この映画は藤田嗣治の伝記映画ではない。2005年の「埋もれ木」以来10年ぶりの小栗康平の新作は、まったく違う二つの時代と場所のフジタを描いていた。19020年代のエコール・ド・パリの寵児として、裸婦などを描いていたフジタと1940年に日本に帰国し、戦時下で戦争協力画を描くことになったフジタ。明と暗。華やかな爛熟期を迎える喧噪のパリと暗く閉じた日本の農村の静けさ。特にラストの幽玄とも言える民話的世界を歩くフジタの映像は圧巻である。奥深い山々に霧が立ち込め、棚田の水が光に反射し、静寂と幻想的な神秘性が空間を支配している。それは川を渡った彼岸のようでさえある。もともと、小栗康平の映像の切り取り方には絵のような深みがいつもあるのだが、この映画もまたその絵画のような映像美に圧倒される。
ヨーロッパと日本、文化的爛熟期のパリと戦時下の日本、二つの時代、二つの場所に引き裂かれたフジタは、近代とともに何を手に入れ、何を失ったのか。戦後、戦争に協力したという批判からか二度と日本には戻らず、フランス国籍を取得し、カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタと改名した。ラストのエンドクレジットでは、キリスト教の宗教画が映し出される。イエス・キリストの磔刑とそれを見上げる使徒たちの中に自画像を描きこんだフジタの最晩年の代表作だという。
藤田嗣治という男がどんな人物だったのか、この映画を観てもまるで分らない。フランスで認められた芸術家フジタが日本でなぜ陸軍に協力し、戦争画を描いたのか?そこにどんな意図があったのか。「アッツ島玉砕」に込められた思いとラストのノートルダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂壁画とは何が違うのか?そして、あの農村に伝わる民話としての「キツネ」は何を意味しているのか?謎は謎のまま投げ出されている。近代と自我、芸術のなかでの独自の技法の確立と虚飾のまみれたパーティー、閉鎖的な世界と村落共同体、民話の夢幻性と夥しい死の表現、そして宗教による救済・・・。いろいろなことを考えさせてくれる。もう一度観なおしてみたい作品でもある。
製作年:2015年
製作国:日本・フランス合作
配給:KADOKAWA
上映時間:126分
監督:小栗康平
脚本:小栗康平
製作:井上和子、小栗康平、クローディー・オサール
撮影:町田博
照明:津嘉山誠
録音:矢野正人
美術:小川富美夫、カルロス・コンティ
音楽:佐藤聰明
キャスト:オダギリジョー、中谷美紀、アナ・ジラルド、アンジェル・ユモー、マリー・クレメール、加瀬亮、りりィ、岸部一徳、青木崇高、福士誠治、井川比佐志、 風間杜夫
(フ)
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