演劇 五反田団「pion」 前田司郎 作・演出

五反田団「pion」前田司郎 作・演出 キャスト:鮎川桃果、黒田大輔、前田司郎 札幌シアターZOO
2015年に「記憶の化け物」という題で初演されたものの再演。札幌では初公演。男と女、そして獣との奇妙な三角関係を描く。前田司郎は劇団「五反田団」を主宰し、劇作家、演出家、俳優として活躍する一方で、09年には『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞も受賞し、小説家としても注目されているマルチな才能の持ち主。僕はNHKBSドラマ『徒歩7分』(向田邦子賞受賞)を見て面白かったし、『横道世之介』(2012年、脚本)、『ふきげんな過去』(2016年、脚本・監督)のどちらの映画も面白かったので、ずっと彼の芝居を観てみたかったのだ。
だから楽しみにしていた。それにしてもシュールな不思議な童話みたいな芝居だ。『ふきげんな過去』でも巨大なワニが出てくるし、この芝居は未知の生物パイオンpionときた。ライオンlionならぬpion。動物が好きなんだなぁ。pionはライオンより強いらしいが、まぁ象徴としての獣である。
舞台は檻を表すジャングルジムとベッドだけのセット。最初は男が女に言い寄っている。女は男に言い寄られて、困っている。断っても断っても、男は言葉の限りを尽くして、「君を幸せにする」と語り続ける。まさに屁理屈の塊り。男の強引さに言い寄られるまま二人は動物園でデートをするが、女は動物園でpionという獣に恋をする。そして獣と一緒に暮らし始めるのだ。
男も女も屁理屈の塊りのような言い合いである。それが笑える。理屈でがんじがらめになっている人間の滑稽さが表現されている。そんな女が獣に恋をする。理屈(理性)とは正反対の野獣性への憧れ。直観の一目ぼれ。しかし、そんな女もpionと暮らすうちに、pionを人間化しようとする。言葉を教え、過去とか未来とか人間にしか持っていない時間の感覚を獣に教える。「今日は私の誕生日なの」と。記憶の積み重ねとして存在している人間と、現在しかない獣。女は獣に憧れつつも、獣を人間化させようとする矛盾。女は理屈から逃れられない。次第に、女は獣に復讐されていく。
暗がりの部屋に監禁され、女は人間から獣にさせられて、ドロネズミの子を宿し、ドロネズミの王の嫁にさせられそうになる。女を監禁したのは、女に言い寄った男の元彼女が獣になったpionの妻であった。pionは一夫多妻制であったことを女は知る。しかし、女はそのpionの妻を突き落として殺す。pionは獣の皮を脱ぎ捨て、すでに人間化していて、「このままではドロネズミと戦争になるから、女の腹の子を王に渡して和平交渉するしかない」と言う。人間的な策略と交渉。女はそれを拒否して、pionの元を去る。動物飼育員になってまで女につきまとっていた男は女の後を追うが、女は相変わらず相手にしない。
人間、獣、女、男、理屈、欲望、生殖、嫉妬、結婚、愛、過去と未来・・・。理屈から逃れられない人間が獣に恋をし、獣をも人間化しようとして、獣に復讐される話なのか?女は獣の子を宿し、母なる別の生き物になった。恋とか愛とかとは別の次元を生きていくようでもある。男は獣性を持ちつつ、争いのことばかりを考え、いつまでも現在を追いかけるだけである。理屈での自己正当化。女の方が直観のまま生き、未知なる子供を宿し、理屈とは別の未来を体現しているのかもしれない。

「肝っ玉おっ母とその子どもたち」 ベルトルト・ブレヒト 作
翻 訳 岩淵達治
演 出 斎藤歩
キャスト 櫻井幸絵、斎藤 歩、宮田圭子、佐藤健一、山本菜穂、高子未来、市川 薫、納谷真大(イレブンナイン)、彦素由幸、小佐部明広(劇団アトリエ)、西田 薫、福士恵二、伊東 潤(劇団東京乾電池)、山田百次(劇団野の上・青年団リンク ホエイ)
会 場 サンピアザ劇場
ブレヒトの戦争を舞台にした音楽劇。17世紀のヨーロッパにおける30年戦争と呼ばれる長い長い戦争があった。子供たちを戦争に取られたくないと思いながらも、次々と死なせてしまい、幌馬車を生活拠点にしてたくましく生きる肝っ玉母さん。
戦争があると物資がなくなり、物が売れる。戦争を糧にして商売をしている母。戦争が終わり平和になると、品物が売れず商売が成り立たなくなってしまう。忌まわしき戦争が、実は経済に役立っているという皮肉をブレヒトはよくわかっていた。過酷な中でもたくましく生きる人生。単純な反戦演劇ではない。平和の中で格差が広がる今という時代にあって、戦争とともに生きた人々のたくましさに我々は何を考えればいいのか?
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