「ペルソナ 脳に潜む闇」中野信子
中野信子はテレビでも人気の脳科学者で、本も売れているようなので、なんとなく読んでみた。「ペルソナ」にまつわる脳科学的な専門的な話がもっと出てくるのかと思っていたら、わりと自分史に関する軽いエッセイだった。
「過去の私を語ることが、現在の私を語ることになる」ということで、現在から時代をさかのぼる形の自分史がこの本には書かれている。アレハンドル・ボドロフスキーは「コロナはサイコマジックだ。人の行動を変えていく、自然のサイコマジックなのだ」と語ったそうだが、「脳は毎夜、夢を見ながら、毎朝生まれ変わっている」ことから、変わり続け再構成されていく自分のことを書いている。一貫などしていない何事にも縛られたくないという自分のことを。
人間の闇ばかりに着目してきた彼女は、脳の快楽中枢が人に嘘をつかせたり、不倫をさせたり、毒親になったり、正義中毒になったり、さまざまな愚かなことを行うことを理解している。一貫性もなければ、ブレブレになる事も、それも脳の調整機能だったりする。だから「ポジティブ心理学」が嫌いだという。ポジティブであることを必要以上に強要され、人間の自然なネガティブさを許さない考えが好きではない、と。ポジティブであることの「禍々しい明るさ」や「胡散臭さ」にうんざりするという。特に日本人は「環境圧力」に敏感で「きちんとしていなければならない」と考える傾向は、呪いをかけられているのだと指摘する。
中野信子自身が幼少期の頃から、人と合わすことができず極端にコミュニケーション能力がなかったようだ。そしていつも頭痛もちでイライラするし、ネガティブな性格。子供の時に母親からも認めてもらえず、人と一緒にいるより孤独が好きだったという。一方で頭が良かったことが、まわりからも距離を持たれ、勉強することしかなかった。しかし、アカデミズムの世界では女性差別やセクハラばかりで、その理不尽さに戸惑い、怒り、生きづらさをずっと抱えていたようだ。テレビに出るようになって、タレントたちのコミュニケーション能力を必死に学んだという。「わたしはモザイク状の多面体である」という言葉を本のおわりに書いているが、「らしく」の呪縛から逃れ、中野信子という人間が何者なのかは、読者自身が作り上げるものであると語る。
「これは私の物語のようであって、そうではない。本来存在しないわたしが反射する読み手の皆さんの物語でもある。」
と書いているように、人間とは日々変わり続けるものであり、一貫などしていないし、様々なペルソナを使い分けて生きているということだ。すべて納得のこの<まえがき>を読むだけで、この本の内容は尽きている。私自身は「無駄を肯定したい」と公言していることをしっかりと明記しておきたい。(略)
何がしたいのか、わかる方がつまらない。何十年も先が見えてしまう方が生き方は退屈ではないのか。見えてしまう方が気持ち悪くないのだろうか。
脳は一貫していることの方がおかしいのだ。自然ではないから、わざわざ一貫させようとして、外野が口を出したり、内省的に自分を批判したりするのである。一貫させるのは、端的に言えば、コミュニティから受けとることのできる恩恵を最大化するためという目的からにすぎない。私たちは、複数の側面を内包しながら、これらを使い分けて生きている。(中略)
私のペルソナ(他者に対峙する時に現れる自己の外的側面)は、私がそう演じている役である、と言ったら言い過ぎだと感じられるだろうか?あなたが、わたしだと思っているものは、わたしではない。一時的に、そういう側面を見て取ってもらっているだけのことである。
過去に存在した事実の集積で、人間はできている。過去の私を語ることが、現在の私を語ることになるのだが、考えてみると、今の私があるのは少し前の私がいたから、そしてその少し前の私がいたのは数年前の私がいたからだ。
「過去の私を語ることが、現在の私を語ることになる」ということで、現在から時代をさかのぼる形の自分史がこの本には書かれている。アレハンドル・ボドロフスキーは「コロナはサイコマジックだ。人の行動を変えていく、自然のサイコマジックなのだ」と語ったそうだが、「脳は毎夜、夢を見ながら、毎朝生まれ変わっている」ことから、変わり続け再構成されていく自分のことを書いている。一貫などしていない何事にも縛られたくないという自分のことを。
人間の闇ばかりに着目してきた彼女は、脳の快楽中枢が人に嘘をつかせたり、不倫をさせたり、毒親になったり、正義中毒になったり、さまざまな愚かなことを行うことを理解している。一貫性もなければ、ブレブレになる事も、それも脳の調整機能だったりする。だから「ポジティブ心理学」が嫌いだという。ポジティブであることを必要以上に強要され、人間の自然なネガティブさを許さない考えが好きではない、と。ポジティブであることの「禍々しい明るさ」や「胡散臭さ」にうんざりするという。特に日本人は「環境圧力」に敏感で「きちんとしていなければならない」と考える傾向は、呪いをかけられているのだと指摘する。
中野信子自身が幼少期の頃から、人と合わすことができず極端にコミュニケーション能力がなかったようだ。そしていつも頭痛もちでイライラするし、ネガティブな性格。子供の時に母親からも認めてもらえず、人と一緒にいるより孤独が好きだったという。一方で頭が良かったことが、まわりからも距離を持たれ、勉強することしかなかった。しかし、アカデミズムの世界では女性差別やセクハラばかりで、その理不尽さに戸惑い、怒り、生きづらさをずっと抱えていたようだ。テレビに出るようになって、タレントたちのコミュニケーション能力を必死に学んだという。「わたしはモザイク状の多面体である」という言葉を本のおわりに書いているが、「らしく」の呪縛から逃れ、中野信子という人間が何者なのかは、読者自身が作り上げるものであると語る。
「これは私の物語のようであって、そうではない。本来存在しないわたしが反射する読み手の皆さんの物語でもある。」
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