「真実」是枝裕和
大人の成熟した映画だ。脚本に幾層にも折り重なった複雑さがあり、人間の心理の綾がある。役者たちも見ごたえ十分。演劇的な作品でもある。家族の庭。映し出される庭の森と屋敷は、家族そのもの。そして虚構が演じられる撮影所。虚構と現実が入り交じり、何が現実に生きることで、何が虚構を演じることなのか。
私たちはいつだって虚構を演じているのではないのか。娘を脚本家という設定にしたことによって、虚構が現実を変えることが強調される。家族が娘の書いたセリフを口にすることによって、和解できるのだ。人を喜ばすこともできるし、言葉足らずで失われた信頼を取り戻すこともできる。サラという不在の女優が母ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)の間に存在している。亡くなった者が今を生きる者たちにいつまでも影響を与える。それは、サラの再来と言われた女優マノン・ルノワール(マノン・クラヴェル)も同じだった。新進女優への嫉妬とプライドは、サラへの嫉妬とプライドとも重なる。母という役割をサラに奪われたファビエンヌの嫉妬。マノンが映画を演じ終わった後に、ファビエンヌの家を訪れ、わだかまりが解けて帰っていく後ろ姿の庭の森が美しい。
カトリーヌ・ドヌーヴには、フランソワーズ・ドルレアックという美しい姉がいた。二人が出たジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』は忘れがたい。ドヌーブにとって姉がどういう存在だったかわからない。不在の存在に亡霊のように縛られ続ける時もあれば、不在の存在が支えになるときもある。死者はいつだって生きる者とともにある。庭の森や家という建物は、家族として生きる者たちを見守ってきた。そんな時間の積み重ねが、人の心の中にも積み重なって、幾層にも折り重なっていく人生の複雑さを感じる映画である。
原題 La Verite
製作年 2019年
製作国 フランス=日本
配給 ギャガ
上映時間 108分
監督 是枝裕和
製作 ミュリエル・メルラン 、 福間美由紀 、 マチルダ・インセルティ
原案 是枝裕和
脚本 是枝裕和
撮影 エリック・ゴーティエ
音楽 アレクセイ・アイギ
美術 リトン・ドゥピール=クレモン
編集 是枝裕和
キャスト:カトリーヌ・ドヌーヴ、 ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、リュディヴィーヌ・サニエ、クレモンティーヌ・グルニエ、マノン・クラヴェル
☆☆☆☆☆5
(シ)
私たちはいつだって虚構を演じているのではないのか。娘を脚本家という設定にしたことによって、虚構が現実を変えることが強調される。家族が娘の書いたセリフを口にすることによって、和解できるのだ。人を喜ばすこともできるし、言葉足らずで失われた信頼を取り戻すこともできる。サラという不在の女優が母ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)の間に存在している。亡くなった者が今を生きる者たちにいつまでも影響を与える。それは、サラの再来と言われた女優マノン・ルノワール(マノン・クラヴェル)も同じだった。新進女優への嫉妬とプライドは、サラへの嫉妬とプライドとも重なる。母という役割をサラに奪われたファビエンヌの嫉妬。マノンが映画を演じ終わった後に、ファビエンヌの家を訪れ、わだかまりが解けて帰っていく後ろ姿の庭の森が美しい。
カトリーヌ・ドヌーヴには、フランソワーズ・ドルレアックという美しい姉がいた。二人が出たジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』は忘れがたい。ドヌーブにとって姉がどういう存在だったかわからない。不在の存在に亡霊のように縛られ続ける時もあれば、不在の存在が支えになるときもある。死者はいつだって生きる者とともにある。庭の森や家という建物は、家族として生きる者たちを見守ってきた。そんな時間の積み重ねが、人の心の中にも積み重なって、幾層にも折り重なっていく人生の複雑さを感じる映画である。
原題 La Verite
製作年 2019年
製作国 フランス=日本
配給 ギャガ
上映時間 108分
監督 是枝裕和
製作 ミュリエル・メルラン 、 福間美由紀 、 マチルダ・インセルティ
原案 是枝裕和
脚本 是枝裕和
撮影 エリック・ゴーティエ
音楽 アレクセイ・アイギ
美術 リトン・ドゥピール=クレモン
編集 是枝裕和
キャスト:カトリーヌ・ドヌーヴ、 ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、リュディヴィーヌ・サニエ、クレモンティーヌ・グルニエ、マノン・クラヴェル
☆☆☆☆☆5
(シ)
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言語
公開時はスルーしてしまい、DVDで観ました。
私はフランス語はしゃべれないし会話劇だということで
まずは日本語版でみました(英語の映画は絶対英語)
リップがシンクしないその気持ち悪さとは別に、映画は
大変たのしめました。
次に、フランス語原語でみてみると、ストーリーはもう
わかっているので抵抗なく観れたとともに、英語しかしゃ
べれないお婿さん(イーサン・ホーク)の辛さが理解で
きて面白かったです。
言語って深いですね!
私はフランス語はしゃべれないし会話劇だということで
まずは日本語版でみました(英語の映画は絶対英語)
リップがシンクしないその気持ち悪さとは別に、映画は
大変たのしめました。
次に、フランス語原語でみてみると、ストーリーはもう
わかっているので抵抗なく観れたとともに、英語しかしゃ
べれないお婿さん(イーサン・ホーク)の辛さが理解で
きて面白かったです。
言語って深いですね!
いつもコメントありがとうございます。
onscreenさん、ご覧になりましたか?
ご指摘のように、ミニチュア劇場いいんですよね。オズの魔法使い。おじいさんから母親へ、そして孫娘へ。フィクションでつながる関係。
言葉もまた映画の重要なテーマになっていますね。フランス語、英語。そして監督は日本語を翻訳して役者たちに伝える。そこでのコミュニケーションの難しさ。イーサン·ホークの疎外感は監督自身が感じていたものかもしれませんね。是枝監督は、かなり信頼できる通訳がいたからこそ、映画が撮れたと語っています。分からないからこそ、お互いが分かりあおうと努力することもあるかもしれませんね。
私も吹替え版は苦手です。
ご指摘のように、ミニチュア劇場いいんですよね。オズの魔法使い。おじいさんから母親へ、そして孫娘へ。フィクションでつながる関係。
言葉もまた映画の重要なテーマになっていますね。フランス語、英語。そして監督は日本語を翻訳して役者たちに伝える。そこでのコミュニケーションの難しさ。イーサン·ホークの疎外感は監督自身が感じていたものかもしれませんね。是枝監督は、かなり信頼できる通訳がいたからこそ、映画が撮れたと語っています。分からないからこそ、お互いが分かりあおうと努力することもあるかもしれませんね。
私も吹替え版は苦手です。